年末に酔った勢いで「笑い」について熱く語る地獄回。(4464words)

皆様あけましておめでとうございます。
 
どうですか、皆さん、年、あけてますか。
 
おかげさまで僕はあけました。完全にあけたように思えます。まだ確認はしていませんが、あけているはずです。
 
そんなこんなで、2019年一発目のブログは、当然2019年の抱負をイキリながら語る、っていうのにしたかったのですけど。
 
2018年の年末に1人で酒を飲みながら、ふと熱くなって、一人長々と書き連ねた文章があるので、それを先にあげさせてください。
 
これは本当に、自分でも恥ずかしいような文章で、一体全体こいつは何言ってるんだって感じなんですが、僕のマイルールで、一旦書いた記事は全部アップするって決めているので、我慢して読んでください(新年早々に読者に我慢を強いるブログって一体、、)
 
あとこれだけは覚えておいてほしいのですが、完全に酔って書いてるので、そこらへんも加味して読んでください。
 
酒にも酔ってるし、自分にも酔ってるしで、もう収集がつきませんが、つける気も起きませんので、そのままインターネットにぶちまけようと思います。
 
 
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今までの人生において、そこまで「笑い」について真剣に考えたことはなかった気がする。
 
 
個人的には、お笑いというものに対して、今まで他の人よりも真剣に向き合ってきたつもりだったけれど、それはあくまで「普通の人と比べると」というレベルの話であって、例えばプロの人(いわゆる芸人さん)のように、それで飯を食っている人と比べたことはなかった気がする。
 
 
それは、今まで比べる必要がなかった、ということもあるし、同じ基準で客観的に並べられた時に、自分が負けていることを認識させられることから、逃げてきたということでもあるし、真剣に向き合った結果自分の実力のなさというか、才能のなさに直面させられることから逃げてきたということでもあった。
 
 
もし自分のお笑いというものにスタイルがあるとすれば、それはその場の空気感なり、相手が喋ったことだったり、偶発的に起きたことに対して、面白く返すというか、ユーモアを交えて返すことだ。
 
 
簡単に言えば、それは自分で考えて練りこんできたものを(事前に考えた上で準備してきたものを)披露するのではなく、その場その場で、出来事や会話に対して笑いとして返すということだ。
 
 
今まではそれでいいと思っていた。その即興性が自分の売りだと思っていたし、それで面白い奴が一番面白いという考えでもあったし、お笑いとはその場でのアドリブ力であると考えていたからだ。
 
 
でも実際、この世界でおもしろいと思われるやつを決めるのは結果であり、プロセスではない。
 
 
つまり最終的に笑いの量、笑いのインパクトが一番大きいやつが、面白いという称号を手にできるのであり、そこにプロセスは関係ない。
 
 
つまり2日かけて作ったネタであろうが、1年かけて準備してきたものであろうが、当日なんの準備もなくアドリブで繰り出したものであろうが、最終的に周りにおもしろいと判断されたやつが面白いというわけだ。
 
 
自分がお笑いを好きなのは、きっと自分の中で笑うことが最高に好きだということと、うまくいった時に常に周りが笑顔になるということだと、今考えて思う。
 
 
他人からの評価が全てであるということと、他人からの評価が文句なく表に現れるということが、魅力的に感じているのだろう。
 
 
うまくいった時の快感、周りの温度が上がる感覚。
 
人が笑ったイメージを具現化、例えば絵や漫画に書いて表した時に「ドッ!」という表現が使われるというのは、自分の中ではものすごくしっくりきていて、まさにその場でうまく笑いを取れた時は、人から発せられるパワーというか、衝撃が、ドッ!っと肌で感じられる。
 
 
その感覚がたまらなく好きだ。
 
 
自分の中で熱が上がっているのがわかる。体温が上がる。自分が興奮しているのがわかる。
 
 
自分の中ではその感覚は、議論している時と似ていると思っていて、興奮状態の時は喋りたい言葉が溢れてきて、俺に喋らせろ!という強い欲求が生じるのがわかる。
 
 
そんな時は議論していても支離滅裂になりがちだし、言葉がうまく紡げないこともあるのだが、笑いに関していうと、それは言葉を噛んでしまったり、どもったり、うまく出てこなかったりするということになる。
 
 
そんなときは、一歩引いてみて、自分を客観視して、場の空気の波のようなものが落ち着くのを待ってから発言してみたり、あえてスローダウンしてみたりといったテクニックはあると思うのだけれど、なんにせよ、そのときの快感はたまらない。常に味わっていたいと思う感覚である。
 
 
今まではそれでいい、その場でのアドリブ力を鍛えていけばいい、むしろその能力が自分にはある、アドリブなら負けねえ、俺は最強だと、思っていた節もあるのだが、世間というか周りからの評価は得られていない。
 
 
実際お笑い業界からスカウトが来るわけでもなく、周りは常に涙をこらえて、腹抱えて笑ってるわけでもなく、感動して帰ってるわけでもなく。
 
 
お笑いに関してナンバーワンになっているわけでもなく、その業界どころか、仲間内でさえも自分はナンバーワンになれていないのだ。(何様)
 
 
誰よりも面白くなりたいと思う。常にトップでありたいと思う。飲み会で自分以外の誰かが爆笑をさらっていたら、悔しいと思うし、俺の方が笑いを取りたいと思うし、自分も笑いながらも、くそう、なんて言ったらこの場の主導権を奪えるか、どうしたら俺がメインになれるか、なんて。
 
 
そんなことを考えながらじゃべっている自分がいるのだ。
 
 
世間の評価だけじゃなくて、飲み会のときに、今日も俺が一番面白かったな、なんて思う日が毎日続くわけでもなく、明らかにトップを奪われている日や、今日はうまくしゃべれなかったな、なんてことを帰り道考えていることも多い。
 
 
自分の自己評価ですら、ナンバーワンだ、と思えている日が少ないのに、周りからの評価で一番を取れるわけがないのだ。
 
 
なぜこんな話をダラダラしているかというと、この前昼寝をしようと思って、YouTubeを流しっぱなしにして寝ていたんですけど。
 
 
最近ハマっているのはキングコングの毎週キングコングという番組で、キングコングのボケの梶原さんがカジサックという名前でYouTuberを始めてから、改めて見るようになっていて。
 
 
もともとビジネスに関して、キングコングの西野さんの動き方はものすごく参考になって、単純に見ていて面白いし、その行動論理や考え、実際のアクションがすげえなと思って、毎週キングコングも見るようにはしていたのだけれど、改めて梶原さんの動きが活発になってからは、こいつら本当に面白いなあと思っていて。
 
 
そんで昼寝のときにYouTubeをつけっぱなしにしていたら、オススメの動画がどんどん勝手に再生されていって、昼寝から目覚めるか目覚めないかのうとうとしているときに、西野さんの2015年の独演会の動画が流れてきていた。
 
 
前々からその独演会については、ビジネス的な動きだったりチケットの売り方だったり、やり方には興味を持ってみていたのだけれど、実際その独演会をフルでみたことはなかった。長いし、なんとなく、独演会とかそういうのは苦手だったのだが、今回はウトウトしていたのもあって、そのまま流しっぱなしで聞いていた。
 
 
そのまま動画は最後まで聞いていて、最後のエピソードまで聴き終わり、あーおもろかったなーと思って、終わりかけの最後、動画を消そうと思ったときに、ラストで西野さんの独演会終わりのオフショット的なものが流れてきて。
 
 
西野さんが「いやー終わったなー!」って言いながら歩いている映像だったのだけれど、そのときに「来年の集客始めるかー、来年の分のエピーソド作らなきゃなー!」って西野さんが喋っていたのが、なぜか特に強く印象に残ったのである。
 
 
そっか、西野さんほど面白くて、動画でもそれこそテレビでも、アドリブだったりその場のツッコミなりボケなり、めちゃくちゃ面白い人も、エピソードという形でキチッと準備して挑んでいるんだなということを、当たり前なんだけど改めてはっきりと認識させられた。
 
 
そうだよな、その場その場で喋るのも、もちろんいいけど、エピソードを一旦作り込んでから、自分で喋ってみて、作り直して、どういうトーンで、どういう擬音で、どういうテンションで喋れば一番面白くなるか、何度も何度も試してから、本番という形で披露してるんだなと。
 
 
これだけ面白い人が、面白いエピソードをさらに練りこんでつくってるんだから、そりゃこれだけたくさんの人を笑わせられるし、めちゃくちゃ面白いんだなって。 
 
 
自分に足りないのは、その作り込み。その場の即席でしゃべって、即席でこんだけおもろいんだから十分やろって、胡座かいてるんじゃなくて、自分で面白いと思ったものをさらに練りこんで試して練り直して、万全というかベストの状態にまで持って行って、それが始めて芸として人がお金を払ってもいいと思えるような作品になるんだなと。
 
 
本当に、当たり前のことなんだけど、全然できてなかったなと、めちゃくちゃ反省した。
 
 
僕はもっとおもろくなりたい、からこそ、もっと練り込むというか、キチンと作り上げたものを披露するようなことも、できるようになりたいなと強く思った。
 
 
独演会やりたい。
 
努力が全て報われるとは思わないけど、努力というか量をこなしてきている奴には、量をこなしていない奴は勝てない。
 
 
「天才は1%の才能と、99%の努力」という言葉が好きだ。
 
 
周りからあいつは天才だと言われるようなやつは、すべからく圧倒的に量をこなしている。
 
 
お笑いだって同じはずだ。量をこなして、いろいろ試して、努力してきたやつが面白いんだ。
 
 
僕が一番好きな笑いは「ガキの使いやあらへんでのフリートーク」。ダウンタウンの松本さんが視聴者からのハガキに対してボケて返すというやつで。
 
 
完全にアドリブ、いきなりの視聴者からの無茶振りに、大爆笑で返すその姿に憧れていた。
 
 
だからこそ、アドリブに対する神格化のような憧れがあったのだと思うけど、それは松本さんが天才なのではなくて、それまでにいかに笑いに対して向き合ってきたかが、現れているのだ。
 
 
今までにいろんなパターンを試し、研究し、量をこなしてきなたからこそ、アドリブでもあれだけ面白く返すことができるのであって。
 
 
自分もそうなりたいと願っても、まずは自分がおもしろくなることが一番大切なんだと改めて思った。
 
 
自分の笑いに対する姿勢は足りていたのか、真剣に向き合ってきたか、できることを全て試してきたのか。
 
 
その問いに対して明確にイエスと言えない自分が歯がゆい。
 
 
できることを全部やる、全力を尽くす。
 
 
お笑いだけではなく、全てのことに共通する当たり前のことを、もっともっとストイックにやっていこうと思った2018年年末。
 
だめだ、酔ってる。
 
 
現場からは以上です。