子どもの頃の気持ちを忘れないように。

みなさんは自分の子ども時代のことをどれぐらい覚えているだろうか。

 

みんなには黙ってたけど、僕なんて地元じゃ「忘却の彼方」って呼ばれるくらいに記憶力悪いから、子ども時代のことなんてほとんど覚えちゃいない。

 

というか、普段からほとんどのことを覚えていない。昨日あった出来事なんてほとんど覚えていないし、一昨日までいくともう全く覚えていない。

 

よく「なんで覚えてないの?」って怒られるんだけど、僕からしたらなんで覚えてるの?って感じだ。そんなどうでもいいこと覚えてていいの?メモリー無駄にしてない?大丈夫?って感じだ。

 

そうだ、今の発言(書き込み)は完全に負け惜しみだ。僕は記憶力が悪い。たぶん悪いはずだ。

 

自分で覚えていようと意識したことは覚えていられる自信がある。というか、他の人より秀でているという認識すらある。

 

だから僕的には、覚えようとしてないことを覚えていないのは当たり前なんだけど、周りは覚えていようとしていなくても、出来事や発言を覚えているから、きっと僕は記憶力が悪いのだろう。

 

というわけで、子ども時代の記憶って、本当に断片的にしか覚えていないのだけれど(というか大学時代や、もっと言えば去年すら何してたか覚えていない)、逆に言えば覚えようとしていたことは結構覚えている。

 

その中で、子ども時代に、これは大人になっても覚えておこうと思ったことがいくつかある。

 

なぜそう思ったのか。それは「なぜこの人は自分も子どもだった時代があったはずなのに、そういう発想になるんだろうか」って思ったことが何度もあったからだと思う。

 

例えば「大人になったらわかる」っていう発言。これって、自分が子ども時代にされて納得すると思いますか?普通に「はあ?」だよね。

 

子どもと大人の差なんて、年齢(生きてきた年数)だけなんだから、大人になったらわかるよっていうのは、59歳の人が58歳の人に「59歳になったらわかるよ」って言ってるのと同じことなんだよ(違うかな)

 

うちの親は結構このフレーズを使う人だったのだけれど、子どもの頃から「それはお前がバカで言語化できないから逃げてるだけだろ」って思ってました(本当にそう思ってました)

 

だから子ども時代から、そういう大人にはなりたくないなと思って生きてきた。今思うと「なりたい大人」とかって具体的には全然想像できなくて「なりたくない大人」ばっかりイメージしていた気がする。

 

 

 

子ども時代に明確にイメージできた「なりたい自分」っていうのはなくて「なりたくない自分」はたくさんの具体例があった。子供心に「自分が子どもだった時のことを、忘れないようにしないとな」って思ったことを覚えています。

 

子どもには基本、優しさがないからね(俺だけ?)

 

大人の言い訳というか、今現状こうなってるけど、色々こうなってるし、理想はこうなることなんだけど、まあしょうがないよね〜、俺ら頑張ってるよね〜、ていう馴れ合いに対して「まあ努力が足りないだけだと思うけどね」ってなってしまうんだろう。

 

バッサリ。もうバッサリ。大人には耐えられないバッサリ具合。

 

今は僕も大人になって、大人の気持ちがわかるようになった(つもり)だけど、子どもの頃の気持ちは忘れないでいたい。

 

子どもの頃の僕に、胸を張って生きていけるような人間になりたい、というかなる。来年、アメリカ行く!(急に?)

 

見てろよ、子どもの頃の僕!俺は言ったらやる男だ!

 

今年中に、彼女作ってやる!(アメリカは?)

 

現場からは以上です。