ひさしぶりは楽しい。

大学の同期と飲んだ。

 

大学時代は今の自分と全然違うメンタリティだったから、環境としては仲良くなってて当然の状況でも、そこまで深い話はしたことないっていう状況が結構あった。

 

例えば部活が一緒だったり、サークルが一緒だったり。

 

今だったら先輩後輩も含めて、なるべく友達を増やすように動いていると思うのだけれど、その頃はそんなメンタリティではなかったので、そこまで深い仲になっていない状態ばかり。

 

部活やサークルに入っていたので、はたから見れば友達の多い人っていう印象だったのだろうけれど、自分的には本当に仲良いと言える人というのは少ない状態で。

 

だから大学卒業してメンタリティ変えてから、そこから仲良くなっている人が結構いるのだけれど、やっぱりそこは、いくら仲良くないとは言っても、同じ釜の飯をなんちゃらということで、すぐに仲良くなれるというか、俺たち友達だよねっていう、一つすでにハードルを超えた状態で会えるからよい。

 

向こうからしたら、ヨウジって大学時代から不思議な存在だったって言われることが多いんだけどね。

 

同調意識というか、何か過去に共通点があったという共通認識があるのは、非常に仲良くなりやすいなと思う。

 

プラス、過去に同じ時間、同じコミュニティを共有してるという点で、どこか話が通じやすい部分もあるし、同じ周波数でしゃべれるみたいな面もある。

 

最近、飲み会とかを企画していて、またはそういった大人数でやる飲み会に、昔からの友達だけどそこまで関係性はない人を誘うっていうのをやっているんだけど、どんどん友達が増えていく感じが心地よい。

 

と、ここまで同じ釜のなんちゃらの話をしてきたのだけれど、ウマの合う人っていうのは確かに存在して、過去がどんな境遇で、まったく違う人生を歩んできている人だとしても、すぐに仲良くなる人はなるし、どんなに時間を過ごそうが仲良くならない人はならないんだな、ということを実感しているんだよ。

 

たぶんそれは、自分の性格というか、人格の深い部分がマッチした場合に起こるのだと思う。人をパーソナリティでタイプ分けすることができれば、それが10タイプだろうが、100だろうが、とりあえずタイプ分けした際に同じタイプの人とは「ウマが合う」って話になるんじゃないか。

 

ウマが合う人とだけ仲良くなりたいっていう話ではなくて、タイプの違う人との話も面白いし、勉強にもなるのだけれど「今日は楽しかったなー!最高だったなー!」って思うときって、やっぱりウマが合う人との出逢いがあったときなんだよな。

 

結局人が仲の良い友達がほしいって思うときは、だいたいウマが合う人を探したいって話になると思う。

 

だったら最初からそのタイプがわかっていて、今日はそのタイプの人を集めた会です!なんてことになったら、ウマが合いすぎて牛になるんじゃないか。(はあ?)

 

自己分析っていうのは結構曖昧で、その人によって定義も違うし、割と「こうありたい」っていう願望も入ってきてしまう。

 

客観的なテストがあって、その結果をみんなが共有している状態で、その上で同類タイプで集まったりすると、非常に気持ちいい飲み会になるんじゃないかな。

 

なんてことを考えていた。

 

明日も4時起きです。起きれるか不安すぎて死ぬ。

 

現場からは以上です。