夢中になれるものが、君にはあるか(狡猾なヨウジ少年、小学校編)

何か夢中になれるものを、あなたは持っているだろうか。
 
今現在、無我夢中、五里霧中、君に夢中なものを、あなたは持っているだろうか。 
 
持っているなら素晴らしい、おめでとう、コングラチュレーション、ハッピーニューイヤー。
 
夢中になれるものが、あれば人生はそれだけで最高だ、よかったね、うん、本当に。
 
いやー本当最高だね!え?あ、うん、その話はまた後で聞かせてよ!ちょっと今日は夢中になるものがない場合の話をしたいからさ、え?5分で終わるからって?いや、大丈夫、5分だろうが、なんだろうが、人の幸せな話なんか、聞きたくもないんだよ!
 
 
 
ちっ
 
 
 
さて、気をとりなおして、今この文章を読んでくれている人はきっと、熱中しているものなんて一つもないんだろう。
 
人生に絶望し、枯渇し、何かハマれるもの、自分の人生を輝かせてくれるものがきっとどこかに落ちているはずだと、常々思っている人たちだろう。
 
安心して欲しい、君は一人じゃない。
 
、、、たぶん、少なくとも一人ではない。俺が知る限り、二人目のサンプルだよ、そうだよ、僕がサンプルナンバー1だよ。
 
しかし僕にも何かにハマっていた時期があった。その話を聞いて欲しい。聞きたくなくても聞いて欲しい。わかった、聞かなくていい、読むだけでいい。
 
僕が小学生のとき、そう、あれはたぶん、小学二年生くらいの時だったと思う。
 
我が家は転勤族の鑑みたいな家で、5~6年で父親の勤務地が転勤になるというサイクルをたどっていた。
 
小学二年生の5月から、それまで住んでいた大阪を離れ、東京に引っ越すことになった。
 
当時の記憶はほとんどないのだけれど、引っ越した日付が5/3なのと、引越し先が田舎ではなく、東京だったのにホッとした思い出がある。
 
さて、大阪から東京に引っ越してきた内向的性格100%のヨウジくんは、仲の良い友達ができるのに少し時間がかかったであろう。
 
あろう、というのは、なんせ全然覚えていないから。
 
とにかくおそらく仲間ができるまでは、一人で過ごす時間が今までよりも増えたはずだ。
 
そこでヨウジくん(7歳)は、一人で時間を潰す必要がある。
 
その時に相棒に選んだのが本である。
 
当時はスマホもなく、ゲームもプレステが初めて発売されたような時代。
 
遊ぶには外で走り回るか、家でゲームするかしか、選択肢がなかった。
 
そして我が家はゲーム禁止の家だったので、もう選択肢はほとんど外で走り回るか、友達の家でゲームするかしかなかった。
 
当時そこまで仲の良い友達がいなかった僕は、たまに誘ってもらったゲームにも参加していたが、基本は外遊び側の人間。
 
しかし僕はその頃からひねくれていて、外で遊ぶって子供じゃないんだから、なんて思っていた。
 
なので、友達に誘われない限りは、外で走り回るようなことはせず、図書館に行って本を借りて読んでいた。
 
ひたすら本を読んでいた。
 
もう本当にひたすら。
 
小学校って授業の合間に5分とか10分休みがあって、まあ本来は移動なり、トイレなり、友達と談笑する時間なんだろうけど。
 
僕はもう授業の終わりのチャイムが鳴り終わる前に引き出しから本を出して読み始め、先生の「起立」という声でみんなが周りで立ち上がってから、休み時間が終わったことに気づく、という時間の過ごし方をしていた。
 
なんなら授業中から読み始めて、先生に注意されてから初めて授業の教科が変わっていることに気づいたこともある。
 
それぐらい夢中になれるもの、それが読書であった。
 
その日の最後の授業が終わってから、一度も本から目を離すことなく家まで帰ったことが何度もある。
 
歩きスマホが危ないと言われて久しいが、僕にとっては何の問題もない。20年以上前から歩き読書をしてきているのだ。
 
今考えると、格好のいじりの対象というか、結構変なやつだったと思うのだが、幸い学校ではイジメられることもなく、友達もまあ普通にできた。
 
そんな、読書が人生のルーティーンになっていた僕が、次にハマったのが独楽(コマ)である。
 
小学校4年生ぐらいの時に、誰かがおもちゃ屋でかっこいいコマを買ってきた。
 
当時の普通のコマは木だけでできていたが、そのコマの木の周りには鉄の輪がついていたのである。
 
コマで遊んだことがない人はわからないかもしれないが、コマというのは紐をコマに巻きつけて、勢いよく回して遊ぶものだ。
 
ただ回すだけでなく、それを紐でグイグイと押していって、他のコマとぶつけ合う。
 
そして先に倒れた方が負け、という、ものすごく原始的なルールであった。
 
このコマ世界における絶対ルールにおいて、周りに鉄が付いているコマは、まさにフィールドの破壊者であった。
 
太刀打ちができない、全く歯が立たない。お話にならない。
 
麻雀でいうと、東南西をポンしてテンパイ気配の親に対して、3シャンテンの子が立ち向かっていくようなものである。
 
ちょっとわかりづらかったかもしれない。
 
簡単にいうと、絶対に勝てないということだ。
 
しばらくはその鉄のコマを持っている奴が、フィールドを支配した。
 
まさに王のごとく、世界を股にかけ、休み時間の覇者として君臨したのである。
 
しかしすぐに、その鉄のコマが売っているおもちゃ屋さんの情報が出回った。
 
僕らは一目散に買いに走った。文字通り買いに走った。自転車で走った。親を説得して買ってもらった。
 
さあ、フィールドは群雄割拠である。
 
誰々のコマは頑丈である、誰々のコマは光沢がある、あいつのコマは周りが悪い、あいつのはキレが悪い。
 
まさに群雄割拠となったコマたちの魅力によって、我が小学校には一大コマブームが到来した。
 
誰もが一個はコマを手にし、休み時間になると誰も使っていない空いている教室(空き教室)に集合して、ひたすらコマ回し。
 
授業が終わるとランドセルを空き教室の棚の上にぶん投げて、帰る時間ギリギリまでコマ回し。
 
僕らの小学校では、コマ遊びのルールは一つしかなく、「地球軍」と「ブラックホール」チームに別れ、ブラックホールがひたすら地球軍のコマを倒し、地球軍はひたすらコマを回し続け、地球軍のコマが一つも回っていない状態になったら、「全滅」という形でブラックホール側の勝利となるルールであった。
 
今考えると、地獄のようなルールだ。
 
工夫も何もあったもんじゃない。
 
ひたすらコマを回して、コマをぶつけるだけだ。
 
しかも地球軍に至っては、ぶつけることすらしない。
 
ひたすらコマを回すだけである。
 
地球軍とブラックホールの人数比は大体3:2。
 
半分に割って、余った一人を地球軍にするというルールだった気がする。
 
しかし何度もいうが、これは地獄のルールである。
 
なんせこの遊び、時間を区切ってやっていた記憶がない。
 
つまり、地球軍には勝つための設定がない。
 
あるとしたら帰りの時間まで逃げ切ることである。
 
授業終わりから、帰る時間まで、少なくとも2時間はあった気がする。
 
2時間ひたすらコマを回し続けられなければ勝利と言えないのである。
 
圧倒的不利、圧倒的理不尽。
 
この時に僕は社会の理不尽さを学んだ、のかもしれない。
 
しかしブームとは過ぎ去るもので、一人、また一人と、違う遊びに流れていった。 
 
残ったのは僕を入れて4~5人である。
 
その4~5人で、放課後もずーっとコマ回しをしていた。
 
地球軍とブラックホールに別れ、、っていうか、ブラックホールって何?
 
地球軍はわかる、「軍」ついてるし、戦うための軍隊で、敵から地球を守る設定なのであろう。
 
でも「ブラックホール」って何?なんなの?ブラックホールって。
 
もはや人でもないし。
 
ブラックホールの方は、地球軍を全部倒すことが目的なのであるが、時には地球軍が反撃に出て、ブラックホール側が全滅させられるときがあった。
 
その時、地球軍側は「ブラックホール全滅ぅ〜」ってゆっくり言うのである。
 
嫌味ったらしい声で。
 
なんだったんだろう、この遊び。
 
しかし当時はそれが楽しくてたまらなくて、コマ遊びをやめた友達からコマを借りて、もうそれこそ回しまくっていた。
 
日本でも当時一番コマを回しているグループだったのではないだろうか。
 
おかげで信じられないくらいコマを回すのが早くなったし、空中手乗せ(コマを回す時に一度も地面につけず、そのまま手に乗せるやつ)とかもめちゃくちゃ上手くなってた。
 
コマ回しの速さは地球軍時代の訓練によって(早く回さなきゃ全滅しちゃう!)空中手乗せはブラックホール時代の恩恵として(コマ遊び後期のブラックホール側の基本戦術は、コマを空中手乗せしてそのまま地球軍のコマの上から叩きつけるという残虐極まりないものになっていた)
 
これらの技術は気持ちいいぐらいに今に活かせていないが、当時は本当にハマっていた。
 
その流れで竹馬とけん玉と一輪車にもハマった。
 
けん玉は普通の技術レベルで飽きてしまったが、竹馬は小学校にたくさんあって、結構ハマってやっていた。
 
といっても、特別なことは何もせず、ただ竹馬に乗って歩くだけである。
 
もしくは走る。
 
もしくはスキップ。
 
普通に乗るのが飽きてしまってからは、どれぐらい高いのに乗れるかを友達と競い合った。
 
もはや竹馬を作った側の想定を上回り、竹馬についている足を乗せる部分の足場の設定を高くしすぎて、若干しゃがみながら乗るという高等技術も身につけていた。 
 
そして小学生6年生ぐらいの時に、一輪車にハマった。
 
今もそうかもしれないが、一輪車というものは女の子の遊びというイメージで、男は誰も乗っていなかった。
 
しかし小学校5年生くらいの時に、校庭の隅っこにプレハブがたち、そこに遊び道具がたくさん導入された。
 
とはいっても、縄跳びやフラフープ、竹馬にボールと、そんなものばかりで、小学校5年生の心をくすぐるようなものはなかった。
 
しかし、そこには真新しい一輪車が3つほど置かれていたのである。
 
プレハブ導入直後は、女の子たちが一輪車を取り合い、空いている状態ではなかったし、小学校高学年の男子が一輪車に乗るなんて、恥ずかしいものであったので、僕も手をつけていなかった。
 
しかし時は流れ、全校生徒がプレハブにも慣れ、また、ゲームを持っている生徒も増えてきていた時代。
 
さらには小学校において不審者による痛ましい事件などが社会現象にもなって、低学年の子は外で遊んじゃダメなんていう風潮があった時代。
 
時代は僕の一輪車乗りたい欲求に見事に味方をしてくれていた。
 
放課後に校庭で遊んでいる友達は少なく、一輪車を乗っていてもバレない。
 
小学校6年生のヨウジ少年はかっこ悪いと思われるのは嫌であった。
 
これだけ人がいなければ、乗っててもバレやしないであろう。
 
さらに狡猾なヨウジ少年は、最初に始める時に、同じクラスの女子を誘った。
 
「一輪車って難しいの?よかったら教えてよ」
 
小学校におけるモテの基準というのは、「スポーツできる度」と「勉強できる度」で簡単にグラフ化できる。
 
そして僕は幸運にも、スポーツができて、勉強もでき、顔もそこまで悪くない小学生であった。
 
だからまあまあモテた。少なくとも、きちんと選んで誘えば女の子からも断られないぐらいの技量はあったのである。
 
そして一輪車も、男だけで乗ってるとちょっと見られたら恥ずかしいなというのがあったが、女の子が一緒ならば「女の子に誘われて仕方なく付き合ってあげている人気者イケメン男子」という設定にできると踏んだのである。
 
ヨウジ少年、おそるべし。
 
狡猾である。
 
まあそんなこんなで、一輪車にも一時期ハマっていた。
 
最初はなかなか難しく、方向転換ができるようになるまでは時間がかかったが、一人で乗れるようになると、めちゃくちゃ楽しい。
 
乗れるようになってからは、見られても恥ずかしくなくなったので、最初に教えてくれた女の子なんてほっぽり出して、ひたすら校庭をぐるぐる回っていた。
 
一輪車はマジで面白いから、乗ったことない人はぜひ挑戦してほしい(だれ)
 
そして、小学校生活において、最後にハマったのはカードゲームである。
 
遊戯王だ。これは聞いたことがある人も多いだろう。
 
設定としては、なんか古代エジプトかどっかの王だったやつが持ってた神秘的なアイテムが現世で力を持ち、弱気な主人公にその時代の王の人格が入り込み、カードゲームにおいてハチャメチャに強くなって、最後の方には「闇のゲーム」とかいって負けたら魂とられる違法性抜群のゲームを展開していくカードゲームである。
 
僕らの時代はまさに遊戯王全盛というか、走りの時代だったと思う。
 
ポケモンカードやドラクエカード、ギャザやモンスターフォームとかもちょっと流行りの時期があったりしたが、基本的には遊戯王の一人勝ち。
 
もうほぼ全員やってた。クラスの男子ほぼ全員が遊戯王のデュエリストだった。
 
全員がデュエリストなので、当然休み時間にはあちこちでデュエルが繰り広げられていた。
 
カードゲームには基本となる戦略があり、そこにカードそれぞれの特性(種類がたくさんある)というか、効果があいまってゲームを面白くしてくれる。
 
タイミングや運、計算や戦略が問われるゲームであったが、遊戯王はトランプなどとは違い、あくまで自分の持ちカードでデッキを作るゲームであった。
 
つまりそれぞれのデュエリストが(デュエリストって何だよ)自分のカードの中から40枚ほどをピックアップして自分のデッキを組み、戦うのである。
 
そしてゲームの勝敗はほとんどカードの強さで決まる。
 
もちろん組み合わせだったり、コンボだったりで、工夫は可能であるが、強いカードを大量に持っている奴にはどんなに弱いカードで工夫しても勝てない。
 
麻雀でいうと、リーチイッパツジュンチャンピンフサンシキイーペーコードラドラの相手に対して、タンヤオのみでは勝てないのである。
 
ちょっとわかりづらかったかもしれない。
 
つまりカード強者が絶対。そういう風にできていたのである。
 
カードの強さが拮抗してきて初めて、コンボなり工夫が活きてくるのである。
 
ではカードを強くするためにはどうすれば良いか。
 
選択肢は二つである。
 
①カードを買う
 
②交換して手に入れる
 
僕らの小学校では、買った方が負けた方のカードを奪える、みたいな、いわゆる賭けゲームは行われていなかった。
 
また友達同士での金銭を使ったカード売買の習慣もなかった。
 
なので、強いカードの入手手段としては、店で購入するか、友達のカードと自分のカードを交換するか、それしかなかった。
 
弱いカードは別である。
 
だいたいカードを店で買うとすると、デッキのパックだったり、ブースターパックだったり、パッケージにしてあるカードを買うことが多い。
 
そうすると、例えば5枚入りのブースターパックを買っても、必要なカードは1枚とか、何なら全部不要な雑魚カードのこともある。
 
そうすると、よくカードを買っている奴のところには、いらないカードがたくさん集まることになる。
 
そういうカードは、カードショップに持っていっても値段がつかない、つまり本当にゴミ同然になってしまう。
 
そこで僕のようなハイエナが動き出すのである。
 
僕の家庭はカードなんて一切買ってもらえなかった。
 
かといってお小遣いは月数百円であり、カードに使うほどの資金がない。
 
カードを手に入れる手段としては、友達からいらないカードを恵んでもらうしかないのである。
 
しかし、僕には対価として差し出すカードすらない。
 
そこで僕のようなハイエナは、対価をカード以外で差し出す。
 
しかし僕は対価を何か物だったり、労働で支払うのは嫌だった。
 
例えば自分が持っている代わりのおもちゃだったり、宿題をやってあげたりとかいったことをするのは嫌で、僕は違う路線で攻めることにしていた。
 
相手の自尊心を満足させてあげるのである。
 
カードバトルが始まると、僕は後ろに回り、観客になってあげた。
 
やはりバトルというもの、観客がいた方が競技者(ここではデュエリストのことをいう、うるせえ、デュエリストってなんだよ)も燃えるのである。
 
調子に乗って解説とかし始める。このカードはこういうとき使うと有効なんだよ、この前の大会でも使われていたよ、とか。
 
そこで僕は熱心に聞いてあげる。へ〜凄いね〜ほえ〜そんなこともできるんだ〜全然知らなかったよ〜凄いね〜かっこいいね〜強いね〜。
 
そうすると小学生はかわいいもので、あっという間に得意になっていく。
 
ヨウジも興味あるの?やってみたらいいじゃん?まあ俺には勝てないと思うけどね。
 
そうだね〜〇〇くんは強いもんね〜凄いよね〜それに僕カードなんて買ってもらえないからデッキも組めないよ〜
 
そうなの?じゃあ俺のいらない余ってるカードあげるよ、別にいらないやつだし、明日持ってきてやるよ。
 
えー!!本当に!うわあ〜ありがとう!やったー!凄いね〜たくさんカード持ってるんだね〜あ、これはどういう効果があるカードなの??
 
あ、これはね(よくぞ聞いてくれましたの顔)、、、
 
という具合である。
 
人間やっていることは大人も子供も同じである。
 
相手が望んでいるものを提供してあげればいい。
 
そうすれば相手もそれに対する対価を支払ってくれる。
 
キャバクラの構造である。
 
そうやって僕はカードを手に入れていった。
 
時には結構いいカードをもらったりすることもあった。
 
そしてもらったカードでデッキを組む。出来合いのデッキだが、そこは狡猾なヨウジ少年、戦略を工夫したり、見せ方をよくすることで、自分の持っているカードの価値を高めていく。
 
そしてもらったカードを他人と交換して自分の欲しいカードを手に入れていく。
 
カードゲームとは交渉のゲームなのである(違う)
 
そうやって僕は元手ゼロからコツコツと勝利と名声を積み上げ、トップにまで上り詰めた。
 
戦えば10戦中7勝はできるかな、というところまで上り詰めて、そして一気に飽きた。
 
熱が冷めてしまったのである。
 
奇しくもその時期は中学に上がる時期になっており、中学に上がるタイミングでバスケ部に入り、忙しくなったのも含めて遊戯王はぱったりとやめてしまった。
 
中一の夏終わりにクラスで遊戯王をやっている別の小学校出身の奴らがいて、俺もやっていたよ、じゃあ今度バトろうぜってなって、一回教室でひさしぶりに自分のデッキを持っていってバトルをしたんだけど、全試合完膚なきまでにボコボコにしてしまった。
 
僕は当時から狡猾ヨウジ少年であったので、デッキはトラップデッキにしてあった。
 
遊戯王にはモンスタカード、魔法カード、トラップカードと三種類のカードがあり(当時ね)自分のターンにモンスターまたは魔法で攻撃するか、相手のターンにトラップカードで応戦するか、という戦略が基本になる。
 
トラップカードはトラップ(罠)という言葉通り、攻撃してきた相手のモンスターを破壊したり、逆にポイントを奪ったり、つまり何か動いてきた相手に対して罠を仕掛けていくカードなのである。
 
狡猾ヨウジはこれが大好きだった。
 
トラップカードが大好きだった。
 
相手の攻撃を利用して罠にはめていくのが大好きだった。
 
性格の悪さが滲み出ていた。
 
そんなこんなでトラップカードでいかに相手に精神的にもポイント的にもダメージを与えるかに特化したデッキだったので、負ける時はスパッと負けたが、勝つ時は相手をめくるめく沼に落とし込んで殺していくスタイルであった。
 
今考えると本当に性格の悪いデッキだった。
 
たぶん相手は二度とやりたくないと思うタイプのデッキであったろう。
 
中学で初めてバトルした相手の顔は若干青ざめていた。
 
散々遊戯王やっているってイキって挑戦してこいよみたいなことを僕に言ってしまっていたので、完全に青ざめていた。
 
完全無欠の青だった。
 
なんか悪くなって、その日そのままデッキを丸ごと相手にあげてしまった。
 
もう遊戯王をやることはないと思っていたし、まだハマっている奴がいるなら自分のデッキは結構いいカードが入っていたので、使えるはずだと思ったのだ。
 
青になっている彼が不憫に思ったのかもしれない。
 
とにかくそんなこんなで、遊戯王ブームも自分の中では完全に去り、僕の人生は中学生に突入していく。
 
 
 
今現在ハマっている、ハマろうとしていることを書こうと思って小学生時代の思い出を振り返っていたら、アホほど長くなってしまった。
 
中学生編からはまた次回書こうと思う。
 
しかしいろんなことにハマっていた小学生時代であったな。
 
書いていて思い出すこともたくさんあって、懐かしいですな。
 
現場からは以上です。