夢中になれるものが、君にはあるか(クズはクズらしく、ヨウジ青少年〜中学生編)

前回、これから自分が夢中になろうと思っているものについて書こうと思って、過去に自分が夢中になったものを小学校から遡っていたら、アホみたいに長くなってしまったので途中で切り上げていたやつの、中学生以降の話を書こうと思う。
 
というか、アホほど長くなってしまったからやめたのではなく、実際は書くのに疲れたからやめたのである。
 
あと友達との約束の時間に遅れそうになったからやめたのである。
 
というか約束には遅れた。
 
ちょっと間に合わなかった。
 
遊戯王のくだりのところに熱が入りすぎたからである。
 
あの日はせっかく書いたので、ブログにアップしてから集合場所に向かったのであるが、その待ち合わせをしていた友達が、僕がツイッターでシェアしていたのに気づいてくれて、ブログを読んでくれていた。
 
というか、待たせてしまったので、その待ち時間にツイッターを開いていたのかもしれない。
 
本当に悪いことをした。
 
「ブログ読んで、あ、こいつこれで遅れたんだなって思いましたよ。」って言われた。
 
本当に悪いことをした。
 
でもブログ面白かったって言ってくれて、とても嬉しかった。
 
逆にいうと、彼に対してもハッピーな時間を提供することができたのであるから、謝る必要なかったのかなって思った。(嘘です、本当ごめんね)
 
さて、過去に僕がハマったものの話である。
 
中学校は1年生までが東京、2年生からは、またまた親の転勤で大阪に引っ越すことになった。
 
そして転校した中学校で、鬼のように流行っていたのがギャザである。
 
ギャザとは、マジック・ザ・ギャザリングの略で、要はカードゲームである。
 
そうである、遊戯王を捨てた半年後に、僕はまたカードゲームの世界に飛び込むことになったのである(表現合ってるのか?)
 
ギャザは遊戯王とはまた少し趣向の違ったゲームで、ルールが異なる。
 
基本的なルールを説明すると、カードには5種類の属性があり、それぞれ、山(赤)、島(青)、森(緑)、平地(白)、沼(黒)という種類に別れていて、さらにそれぞれの種類の中で大きく二つのタイプ(土地カードと呪文カード)に別れている。
 
山の土地カードを使うと、赤色の呪文カードを利用できる、というようなルールになっており、自然と各個人のデッキは赤色デッキとか、青色と黒色の組み合わせデッキというような感じになる。
 
ギャザのルールはややこしくて、ここで全部説明することはできないが、土地カードを入れすぎると呪文カードがなかなか引けないし、土地カードが少ないと強力な呪文を使用できない、というようなことで、効率よく戦っていくには、必然的に土地(色)は一つか二つに絞られるのである。
 
色には各色特徴があり、例えば赤は攻撃的な色であり、相手にダメージを与えることを得意とするカードが多い。逆に白は回復系のカードが豊富である。
 
山だからゴブリンのカードがたくさんあったり、島には海洋生物というか、水辺の生き物がたくさんいたりと、それぞれ特徴があってめちゃくちゃ面白い。
 
ちなみに今ググってみたら、トレーディングカードゲームとしては世界で一番流行っているゲームとして、ギネスに認定されているらしい。その面白さ具合はそれだけでもなんとなくわかるというものである。
 
さて、例によって僕は、狡猾なヨウジ少年としての任務を全うし、自分では一度もカードを買うことなく、大量の雑魚カードを友達から無料で手に入れることに成功する。
 
うわ〜これほんまゴッツかっこええやんか〜うちもやってみたいわ〜ほんまカンニンやで〜
 
チョロいもんである。
 
さらにギャザというゲームは、遊戯王とは違い、戦略が非常に大きな比率を占めるゲームで、雑魚カードばっかりでも使い方を工夫すれば、かなり戦えるゲームなのである。
 
頭を使うゲームといってもいいかもしれない。
 
最初にもらったカードの色合いのこともあって、僕は緑と赤の混合デッキをまずは作り、しばらくして赤色オンリーのデッキを作り上げた。
 
赤は先ほども言った通り、攻撃的な呪文カードが多い色である。
 
ギャザは相手にダメージを与え、相手のライフポイントがゼロになれば勝ちというゲームで、相手のライフへの攻撃方法も二種類あった。
 
モンスター(クリーチャー)カードで攻撃するか、呪文カードによる直接攻撃である。
 
そして赤色の特徴は、直接攻撃の呪文カードが大量にあるということでもあった。
 
僕はこれにハマった。
 
ひたすら直接攻撃を繰り返す戦略をとったのである。
 
ギャザは本来でいうと、呪文を効果的に使いながら自分のクリーチャーの特性を活かして戦うゲームである、本来は。
 
しかし僕はそのクリーチャーの部分を無視した。
 
王道から一歩、どころか、通り一本外れたのである。
 
アウトサイダーであった。
 
当時からアウトサイダーであった。
 
格好良く言えばそれであった。
 
しかしもっと簡単に表現することもできる。
 
そうである、性格が悪いのである。
 
ひたすら相手に直接攻撃。
 
駆け引きなんてしない。
 
相手がモンスターを出してこようが、オシャレなコンボをフィールド上で決めようが、一切無視。
 
ただひたすら相手のライフに直接攻撃。
 
常に短期決戦。
 
そんなもん、ちんたらやってられませんわ。
 
ひたすら直接攻撃。
 
相手のかっこいいモンスターが出てきても無視無視。
 
ただひたすらに直接攻撃。
 
これをやられると相手はイライラする。
 
そりゃそうである。
 
ゲームの醍醐味である駆け引き、モンスター同士の攻防、知略を尽くした頭脳戦、どんでん返し、あっと驚くようなコンボ攻撃、、、、
 
全てを無視するのである。
 
ただひたすらに直接攻撃。
 
おそらく相手はこう思っていたはずだ。
 
なんでやねん、と。
 
もっとなんか、こう、、あるやろ、、駆け引きみたいなもんが。
 
なんやねんそれ、ただ焼いて(直接攻撃のこと)るだけやんけ。
 
しかし勝負は勝負であり、ルールはルールだ。
 
僕はみんなにこの世の厳しさを知って欲しかったのだ(嘘です)
 
僕だって好きでやっていたわけではない(嘘です、嬉々としてやっていました)
 
ルールの中でいかに効率よく勝利を目指すべきかを伝えたかったのである。
 
ルールを守る側ではなく、作る側に回って欲しかったのである(だれ)
 
そうじゃなければ、今後の人生ずっとルールを作る側の人間にいいようにされてしまうのだ!(机をドンっ)
 
さて、そんなギャザリング人生を送っていた僕であるが、中学生三年生になって、だいぶギャザにも飽きてしまっていた。
 
さらに、所属していたバスケ部に入ってきた二個下の後輩と、ギャザを勝負する機会があって、もうコテンパンに負けてしまってから、バッサリと辞めてしまった。
 
根性のない人間である。
 
その後輩は、5色デッキの使い手だった。
 
5色デッキとは、マジックザギャザリングのすべての種類のカードを組み合わせて戦うという、当時の僕からしたらとんでもない発想のデッキであった。
 
まず5色を使いこなすには、相当の種類のカードが必要であり、さらにそこには緻密な計算が必要である。
 
なんせ組み合わせが大変だし、先ほども少し触れたように、土地カードも5種類、呪文カードも5種類、それが効率よく使えるようにきてくれるよう、デッキを組む必要があるのだ。
 
圧倒的努力、圧倒的知識、そして何より、圧倒的資本力。
 
カードを何枚買って、いくら使ったらこんなことができるのか。
 
僕にとって、トレーディングカードゲームが、知力の遊びから資本力の遊びに変わった瞬間であった。
 
もちろん、たくさんの色を使いこなすのは難易度がめちゃくちゃ高い。
 
そしてカードゲームというものは、成功の難易度が高いほど、達成した際の報酬(ギャザでいうと呪文カードの威力)も高まっていくものなのである。
 
人生と一緒だ。(急に)
 
5色デッキなんて、通常では無理。
 
だからこそ、例えば3色を使わないと発動できない呪文カードなんていうのは、威力が凄まじい。
 
それこそマジで、フィールドを吹き飛ばしていく。
 
今まで僕が友達とコネコネして遊んでいた、僕らの青春の遊び場を、完膚なきまでに吹き飛ばしていく。
 
暴君である。
 
僕は完膚なきまでにボコボコにされた。
 
ほぼほぼ泣きそうであった。
 
半泣きであった。
 
しかし後輩の前でそんな姿を見せるわけにもいかず。
 
「俺の方がバスケうまいし」とかいう最低の捨て台詞を吐いて逃げ出した記憶がある。
 
クズである。
 
しかし逃げずにはいられなかった。
 
これ以上ギャザを極めるほどの情熱も持っていなかったし、何よりタネ銭がなかった。
 
絶望するくらいにタネ銭がなかった。
 
こうして僕はギャザをやめ、季節は折しも受験シーズンとなり、冬が始まった。
 
そこで僕は家で一人でできるものにハマることになる。
 
そう、テレビゲームである。
 
何を隠そう、我が家はテレビゲーム禁止の家であった。
 
いや、厳密には禁止ではない。
 
ロクヨンだけは買うことを許されていた。
 
しかし週に30分のみ、という厳格なルールが課されていた。
 
そしてこのルールは絶対であり、破ることは許されない。
 
基本的に我が家はルールが厳格で、例外というものを一切認めない。
 
例えば、誕生日だから、とか。クリスマスだから、とか。
 
お休みの日だから、とか。お正月だからとか。
 
天皇誕生日だから、とか。あなたがサラダを食べたいと言ったから、とか。
 
一切関係ない。
 
ルールはルール。
 
そういう家庭であった。
 
赤信号は守る。
 
車が一切走っていなくても、赤信号は渡らない。
 
親父は勤続40年ぐらい、無遅刻無欠勤である。
 
すごない?
 
40年無遅刻無欠勤て、すごない?
 
ハプニングなさすぎじゃない?
 
人生盤石すぎない?
 
親父は絶対に約束の時間に遅れない。
 
絶対だ、それは今も盤石である。
 
何よりもルールを遵守する人間なのである。
 
なぜそんな人間から、僕みたいな人間が生まれたのであろうか。
 
子どもの頃から不思議であった。
 
幼稚園の頃から思っていた。
 
「俺、マジでワンチャン捨て子説あるな」と。
 
話を戻す。
 
テレビゲームの話である。
 
そんな厳格な家庭であったので、週30分のゲームを楽しむしか選択肢がなかった。
 
表向きは、である。
 
週30分とは、あくまで親への申告制である。
 
つまり親が家にいる状態でゲームをしたいときに「今から30分ゲームをやります!今週分の30分です!」と宣言してから始めるのだ。
 
それはつまり、親父、ないしはオカンがテレビを使っていなくて、リビングも使っていないとき限定である。
 
まあ普通は親父が家にいるときはリビングを使っているので、親父がいないときである。
 
しかしオカンもオヤジほどではないにせよ厳格な我が家は、ルールが揺らぐことはない。
 
30分までのルールは絶対である。
 
しかしこのルールはあくまで申告制なのである。
 
つまり、親に申告しなければゲームをすることは可能である。
 
親が家にいない時間、それがチャンスだ。
 
これは故意の悪意ではない、うっかりミスの申告漏れなのだ。
 
ということで、子どもの頃から一番幸せな時間は、家に親がいない一人の時間であった。
 
そもそもゲーム以外でも、本を読んでても何をしてても、親からは「勉強しなさい」としか言われた記憶がない。
 
家にいると必ずいつでも、勉強しなさいと言われる人生であった。
 
はっきり言って、小学校も中学校も、僕は成績は悪くなかった。
 
というか、かなりいい方であった。
 
高校は地区で二番目の私立高校に入学した。
 
通っていた塾のクラスも、すべて一番上のクラスだった。
 
しかし小中学校では、勉強しなさいとしか言われた記憶がない。
 
かと言って、試験結果を持って帰って怒られた記憶もない。
 
そりゃそうである、成績はいいのだから。
 
一体何をもって勉強しなさいと言われていたのか。
 
甚だ疑問である。
 
これで成績が悪いならまだわかる。
 
成績悪いんだから勉強しなさい、と。
 
これはわかる。
 
しかし成績はいいのである。
 
だが確かに、当時僕は塾に通っていて、勉強は学校の授業プラス塾でしかやっていなかった。
 
家では一ミリも勉強していなかった。
 
家で教科書を開いた記憶がない。
 
だから親から見えている僕は、1分も勉強していなかったということになる。
 
だから親の考えを突き詰めれば、結果(成績)がどうであれ、勉強しているという態度を見せなさい、ということだったのだろう。
 
一体なんだったのであろうか。
 
頑張って影で工夫してやって結果を出している奴より、目の前で頑張ってるアピールをしている奴の方が評価が高いのである。
 
一体なんだったのであろうか。
 
大企業か。
 
何を考えているのか。
 
小さい頃から、親が何を考えているのか、どういう思考回路なのか、甚だ疑問であった。
 
たぶん、何も考えていなかったんだと思う。
 
だから僕は家にいるのが嫌だった。
 
家にいる時間が一番嫌いだった。
 
でも家にはいなければいけない。
 
それが我が家のルールなのである。
 
何もないなら家にいなさい、がルールである。
 
理由の説明はない、理由を聞いても答えてくれない。
 
なぜ休日も家にいなければいけないのか。
 
一体全体なんなのか。
 
中学校では午後は出かけても怒られないようになっていたが、基本は家にいろ。
 
小学校の頃は、休日に外出するには一週間ぐらい前から申告が必要であった。
 
前日に、明日朝から遊びに行きたい、と言ってもだめ。
 
かと言って家で何かやらされるかと言ったら、そんなこともない。
 
ただただ申告がルールなんだから、申告していないならダメ。
 
そういうルールだから、である。
 
よって図書館で借りた本を読み終わってしまった休日は地獄である。
 
仕方がないから一人で空想して遊ぶか、家中の本という本を全て読み尽くすかしかやることがない。
 
学生時代は、もうひたすらに空想していた。
 
家でずっと妄想、空想。
 
今でも完全に癖になってしまって、空想の物語を繰り返す日々である。
 
話を戻す。
 
申告 of gamesの話だ。
 
親が家にいない日は、ゲームチャンスである。
 
しかし我が家はゲーム禁止の紫禁城、絶対にバレてはならない。
 
バレたらゲーム禁止どころではなく、間違いなくその場でゲーム機ごとゴミ箱行き。
 
もう一生家でゲームをやる機会は訪れないであろう。
 
そこで準備は盤石にしておく必要がある。
 
当時の我が家は玄関からテレビが見えるまでの距離が約7~8歩。
 
そして鍵を開けてから、そこに到達するまでに、母親なら約7秒ぐらい(玄関の戸棚に鍵をかけたり、コートを脱いだりなんやり)はある。
 
鍵の開錠音を聞いてから、テレビのチャンネルを変えてから消し、ゲーム機をテレビ台に突っ込んで素知らぬ顔でおかえり〜と言うまでの時間が約6秒しかないのである。
 
これはかなり険しい戦いになりそうだ。
 
そこでまず、僕は普段からゲーム機とテレビをつなぐためのコードをつなげっぱなしにしておくようにした。
 
普段の30分ゲーム終わりに、あえてゲーム機とテレビ間のコードをつなげたままにして、ゲーム機をテレビの下にあるテレビ台にしまうのである。
 
こうすると最初は「コードがつなげっぱになってるよ」と言われ、はーい、なんて言いながら直しておくのだが、しばらくそれを続けると、向こうも慣れてしまい、そこまで気にならなくなってきて、つなげっぱなしになっている状態の時間が長くなってきた。
 
こうなればもうこちらのものだ、6秒の間にやらなければいけない作業を一つ消すことに成功した。
 
これはでかい。なんせテレビとゲームをつなぐコードは、赤白黄色と三本あって、どうやってもタイムロスが激しいからである。
 
あとはゲーム機を最初からテレビ台にセットしておけば、しまうのはコントローラーだけでよくなる。
 
音はイヤフォンをテレビに刺し、片耳を当てて小音できく。
 
親の鍵音がした瞬間の刹那、すぐ横に準備してあったリモコンのスイッチでまずチャンネルをNHKに変える。
 
我が家は基本NHKしか見ない家庭であったので、チャンネルがNHKじゃない瞬間に全部バレルのだ。なんと我が家はテレビを勝手に見ることも禁止であったので、ゲーム用のチャンネルはもちろん、他の民放ですらご法度である。
 
そして小音にしてあった音量を上げて普段の音量まで戻し、テレビのスイッチを切る、ここまでで約2秒である。
 
そしてコントローラをテレビ台に右手でさっとしまい、ゲームの電源を落とし、テレビ台の蓋を左手で閉め、イヤフォンをテレビから音もなく抜き取る、ここまでで4秒。
 
あとは平然とした顔で横に用意してあった本を右手で手に取りソファにもたれかかる。その間左手はイヤホンをポケットに押し込んでいる。
 
そして何にもなかったような顔をする。
 
平然とした顔が味噌である。
 
そして親がリビングの扉を開ける。厳密に言えば、その扉は閉まっていない、数ミリ空いていたのだ、なんせ鍵の音を聞き取る必要があるから。
 
そしてのんびりとした口調で、おかえり〜と言って立ち上がって一度自分の部屋に行く。表情を整えるためである。
 
そしてすぐに本とイヤホンを自分の机に置き、テレビの前に戻る。扉はきちんと閉められているか、コントローラーは大丈夫か、リモコンの位置はどうか。
 
そうだ、犯人は現場に戻るのである。
 
放火犯と一緒だ。
 
そして後片付けが完璧であることを確認して、そそくさと部屋に戻る。リビングにいたらまた小言を言われるからだ。
 
こんな人生であった。
 
僕の人生はこんな感じである。
 
中学生になってからはさらに大胆になり、親が寝静まってからゲームをする日もあった。
 
そのときは一軒家で、親は二階に寝ていたので、よっぽどのことがなければバレない。
 
しかしあくまで準備は万端にして、イヤホンを使い、部屋の電気はつけずにゲームをしていた。
 
そんな人生であった。
 
なんの話だっけ?
 
そうだ、ハマっていたものの話だ。
 
そうやって、小中とゲームに鬼ハマりしていた。
 
やったらダメと言われるほどに、人はやりたくなるものなのだ。
 
その証拠に、一人暮らしをするようになってから、僕は一度もテレビゲームの類を買っていないし、ハマってもいない。
 
もうゲームにハマることはないのではないか。
 
小中のときに欲望を使い果たした気がする。
 
しかし最近ニンテンドースイッチにて、スマブラが発売されたらしい。
 
僕がハマっていたゲームは、スマブラとぷよぷよとパワプロである。
 
そのスマブラが新しくなって、、、
 
ぜひやりたい。
 
みんなでやろう。
 
さて、またまた長くなってしまった。
 
ハマったことについての話は尽きないねぇ。
 
ということで続きは次回にしたい。
 
そろそろ高校生編に移りたいと思う。
 
もういいよ、と思った方もいるだろう。
 
でも我慢してほしい。
 
あなたも社会人だろう。
 
我慢は大切である。
 
だって喋りたいんだもん。
 
現場からは以上です。