面白くなりたいって思う気持ち、プライスレス。

面白くなりたい。
 
人は往々にして、面白くなりたいと願う生き物である。
 
人類の起源は笑いにあるという。海で最も笑いを取りたかった魚が、陸に上がるというボケをかました。
 
「おれ、昨日海から上がっちゃってさ。そしたらマジでエラ呼吸出来なくて死ぬかと思ったよwww」
 
なんていうエピソードトークをしたいがばっかりに、お調子者の鯛あたりが「これぞ本当の体当たり」なんていいながら海から上がったのが始まりである。
 
 
面白くなりたい。
 
理想だけ言うなら、飲み会に自分が登場した時点でみんなが笑顔になるぐらい。それぐらい面白くなりたい。
 
笑いに関して「期待されるとしんどい」「ハードルがあがる」なんて言ってるやつがいるが、底抜けの阿呆である。
 
ハードルが高かろうが低かろうが、ハードルがあるだけめっけもんだ。その準備してもらったハードルを使って広げていけばよい。
 
ハードルの良し悪しは、ハードルを準備した側の問題なのだから、こちら側に責任はない。失敗したらハードルのせい、うまくいったら自分のおかげ。これぐらいのメンタルで行けばよいのだ。
 
 
笑いはトライアンドエラーである。学ぶ気がキチンとあれば、失敗した数だけ、何か学んでいるはずだ。
 
杉田玄白も解体新書の中で「笑いは数や、数やねんでえ」って言ってたとか言ってなかったとか。
 
失敗から学び、成功から学ぶことで、人は成長する。笑いも同じである。センスがあるやつなんて本当に一握り。滅多にいないんだ。基本は経験から学んでいくものなのである。
 
少しづつ面白くなっていく楽しさは、さながらロールプレイングゲーム。今月はノリツッコミをものにしたから、次は一人ボケツッコミを習得したいな、とか。
 
この前は前フリアンダーザブリッジを体得したから、次は小ボケウィザードを練習するか、とか。
 
どんどん自分のスキルがアップして行くのを楽しむのだ。
 
 
笑いが最高なのは、相手が必要なことだ。練習ですら、一人ではできない。一人で部屋でブツブツ言っていても面白くはなれない。(突き抜けてやりまくればそれはそれで昇華されるかもしれないけど。)
 
外に出て、相手がいる状態で試すことでしか、練習もできないし、失敗をすることすらできない。
 
でもそれ自体を重く受け止める必要はない。人と会うときに、頭の片隅に少し入れておくだけでいいのだ。そうすれば、何かの拍子にボケるチャンスもあるだろう。ツッコむチャンスもあるだろう。
 
実際に実行に移してみて、結果ウケようがウケまいが、それを経験として、次に生かしていくことができるのだ。
 
そしてレベルアップしていくと、コミュニティ内での立ち位置も変わって来るだろう。
 
観客からツッコミができる人へ。ツッコミからボケもできる人へ。そしてMCもできる人へ、、、
 
 
プロフェッショナルとは、常に一般の人からの批評にさらされているものだ。テレビでプロ野球を見ているおっちゃんが「今の球なら俺でも打てるわ〜」って言ってるのと同じように、周りから面白くないって言われるようになることもあるだろう。
 
常に批判にさらされるようになるのだ。そこで反発して「俺はお前よりは面白いけどな」って言ってしまうのか、それともその評価も経験に変えて、さらに上を目指すのか。
 
お笑いを極めるには、血の滲むような努力が必要なのだ!(お前は誰やねん)
 
 
なんてタラタラ書いてきましたが、何が言いたいかというと、今日の飲み会はあんまり上手く笑いを取れなかったな、周りも上手く活かせなかったなっていう反省文です。
 
もっともっと面白くなりたい、から、努力を続けたい。
 
現場からは以上です。