この世のデザインTシャツ撲滅したい。
この世の中には、デザインTシャツが溢れている。
はびこっている、と言ってもいいかもしれない。
この世の全てのTシャツは、2種類に分けられる。
デザインTシャツか、デザインTシャツじゃないかだ。
申し遅れたが、僕はデザインTシャツをデザインしている。
デザインTシャツの中の人だ。
春から秋にかけて、街を歩けば目に飛び込んでくる。
そこにもデザインTシャツ、あそこにもデザインTシャツ。
森の中でデザインTシャツ、海でも林でも、コンクリートジャングルでも。
デザインTシャツデザインTシャツデザインTシャツ....
デザインTシャツで埋め尽くされたこの世の中。
しかしどうだろうか。
そのデザインTシャツ、どうだろうか。
あなたが着ているそのデザインTシャツ、そこにストーリーはあるのだろうか。
もしかして、オカンが適当にイオンで買ってきたやつじゃないか。
それともあれか、オカンがダイエーで暇つぶしで買ってきたやつじゃないか。
そのデザインTシャツに愛はあるか。
そのデザインTシャツに夢はあるか。
そのデザインTシャツに、ストーリーはあるのだろうか。
どんな人だってオシャレになりたい。
オシャのためなら死んでもいいって人もいる。
オシャなんてどうでもいいって人もいる。
でも、オシャで居られるならオシャでいたいはずだ。
オシャじゃないよりはオシャがいいはずだ。
どんなに興味なくても、オシャな方がベターなはずだ。
オシャは時代によって変化する。
不変なオシャなんてない。
だからめんどくさい。
これなら大丈夫ってのがない。
これ着てればオシャっていうデザインがない。
オシャに対して、人生賭けて挑んでるランウェイとかなんかそこら辺の人たちがいるぐらいだから。
オシャは永遠ではなく、常に変化し、恒久的に追い続ける必要があるものだ。
でも、ずっと追うのはしんどい。
もうやめたい。
オシャなことを追い続けるのはやめたい。
でもオシャでいたい。
オシャについて考えるのよ嫌だけど、周りからはオシャと思われていたい。
人間っていうのは、そういう生き物なのである。
何を隠そう、私がそうだ。
ファッションなんてめんどくさい、ダルい。
別になんでもよくね?って思う。
でもファッションの力はすごい。
ファッションについて、知れば知るほど、ファッションが待つ力のデカさに震えている。
打ち震えている。
チビってる。
自分がオシャだと思えれば、自信が持てる。
自信はとっても大切だ、いつなんどき、どんなタイミングにおいても。
自信満々なやつは、いつだってうまくいく。
うまくいかないという選択肢が用意されていないのだから当然である。
ファッション、外見は、自分に自信持つ最短ルートである。
ぜひ活用してほしい(だれ)
第一印象はとても大切だ、と言われて久しい。
人間関係は第一印象で決まる!みたいな本もあった気がする。
もちろん、これは状況や関係性による。
だがしかし、大切なのは間違いない。
そして第一印象がよければ関係構築がスムーズなのも間違いない。
であれば、第一印象はよきにこしたことはない。
ではどうすればいい?
スーツ着ていけばよいのか、きちんとしたカッコならいいのか。
状況やタイミングによって、相手に好印象を与えるカッコ、ファッションは違うだろう。
難しい、めんどくさい。
ダルい、死にたい、殺してくれ。
しかしそんなとき、全てを解決するソリューションがある。
オシャなことだ。
オシャは全てを解決する。
オシャが嫌いな人はいない。
相手がオシャで怒る人はいない。
たまにオシャな人が苦手、嫌いって言ってるやつがいるが、それは嘘だ。
嘘というか、オシャになれない自分を正当化するための自己防衛である。
厨二である。
ほうっておけ。
そんなやつに構っている時間はない。
大体そんなやつに限って、ちょっとオシャに目覚め、オシャだなって自信を持ち始めると「やっぱオシャ大切だよねぇ」とか宣い出すのだ、死ねばいいのに。
オシャなやつを嫌いな奴なんていない。
これは中国四千年の歴史を見ても明らかである。
なぜ中国四千年の歴史を見ても明らかなのかについては答えられない、いまちょっとそれどころじゃない。
とにかくオシャなやつは総じて得をするのである。
であればみんなオシャになるべきである。
でもオシャは常に変化しているので、時代に合わせて自分でアジャストしていかなければならない。
これが面倒くさい。
七面倒くさい。
そこに解決策として現れるのがブランドである。
ブランドとは「ほら、おれたちってオシャじゃん?俺らの出すやつ全部オシャじゃん?これ買っとけばオシャだよ!」っていうことである。
ブランドっていうのは全部そうなのだ。
ファッションブランドは全部そう。
自分たちの価値観の押し付けなのである。
でもどう?さっきの話に戻るけど、好きなブランドある?
何個か出てくる人もいるだろう。
私はやっぱりMARNIよねっていう人もいるだろう。
やっぱりMARNIが1番好き!
ご飯にも合うし、持ち運びも楽々!
MARNIがいてくれたおかげで、私もここまでやってこれた。
そういう人もいるだろう。
いいの、いいの。
そういう人はいいの。
とりあえずそういう人はターゲットじゃないの。
そういうんじゃなく、別に好きなブランドなんてないから、普段着てる服はオカンが買ってきたやつ、とか。
年に2回ぐらい友達と渋谷とかに服買いに行って、適当に入った店で適当に買ってお終い、とか。
とりあえずUNIQLOとGUで買って、たまにRighton、みたいな。
そういう人はさ、別にどこで買うとか、ブランドとかは気にしてないやん?
UNIQLOとかさ、いやすごくいいよ。
UNIQLOは私も大好きだよ。
でもさ、オンリーUNIQLOでオシャにできますかと。
オンリーUNIQLOでオシャなやついますかと。
なかなかいないやん、そんなの。
それこそ適当に買ったTシャツに適当に買ったパンツ合わせても、なかなかオシャにはならんやん。
そしてそこにストーリーがない。
なぜそのシャツを着ているのか。
なぜそのデザインTシャツなのか。
語れないなんて寂しすぎませんか。
時代は変化し、広告の概念もドンドン変わっていく。
昔はテレビコマーシャルが1番だったけど、今はネット、リスティングが大切。
そんな時代に、みんながみんな毎日着て外を歩いている、デザインTシャツ。
ここに広告載せない手はない。
どうやったって、ここで宣伝したほうがいい。
歩いてくれるし、どこにでも配置可能。
デザイン次第では話題にあがる、企業名やサービス名が、話題にあがる。
この宣伝効果は莫大ではないだろうか。
この広告効果としての、デザインTシャツ。
ここを深く織り込んでいるところはまだあまり出ていない。
チャンスだ。
ここは狙い所だ。
デザインと広告の融合を果たすことができれば、デザインTシャツ、デザインファッションは新たな市場になる。
需要はある。
Tシャツを着てもらって売るのは、何もTシャツだけじゃないだろう?
着る人にはオシャとストーリーを。
作る人には広告メリットを。
その合わせ技が最強だ。
だからおれはデザインを学んでいる。
デザインには無限の可能性がある。
この世のデザインTシャツ、全て葬り去りたい。
すべてFDYのデザインTシャツにしてやりたい。
世界征服したい。
現場からは以上です。