なんか楽しいことしたいな?

なんか楽しいことしたいな?
 
人生をワクワクで埋め尽くしてしまいたいな?
 
最近の人生、私の人生。
 
楽しくないわけじゃない、むしろ楽しい。
 
仕事も毎日遊んでるようなもんだし。新しくサイトも初めて、わからないことばかりだけどなんとかみんなでやってるし。休みの日にはフットサル、バスケ、飲み会、映画、漫画、、、デートだってしたりもしている。
 
どう考えたって、一年前とかより全てにおいて充実しているし、笑ってる数も多いし、友達も多いし。
 
逆にストレスは少ないし、心配事もないし、お金に関しても余裕が以前よりはある。
 
だけどなんだろうか、この毎日がただ漫然と過ぎていく感覚は。
 
楽しいとこうなるのだろうか。
 
楽しいを突き抜けた先に現れる、涅槃としての浄土なのであろうか。
 
あるいは冥王星人的な枠組みとして捉えると、世界を再構築するユニバーサルデザイン的な何かなのであろうか。
 
日々何かに追われ、何者かにならなければいけないという強迫観念と戦う僕らは、この先一体どこへ向かうのだろうか。
 
インスタグラムにオシャレな投稿をし、互いにチェックし合う日々に疲弊し、もはやストーリーしか投稿することのなくなった女の子の刹那性とは。
 
日々ラーメンの写真を投稿することに命をかけ、仕事そっちのけでラーメン屋を回り続けるうちに「連食」という異次元の概念を、さも当然かのように発言するまでに至った営業マンの行く末とは。
 
僕らはこの退屈な世界を、なんとか楽しもうと必死にもがいている。
 
所詮、遺伝子の乗り物としての役割しか持たない、長い歴史の中で見るとあまりにも刹那な不可逆性を内包するビークルとしての立体性を幾何学的に捉えるコンセンサスの輪廻、、、
 
具体的な目標の欠落という点において、毎日の連日性における怠惰な感情を捨て去ることができないのは、主がその著作でおっしゃったような人間の本来持つ欺瞞的なアティチュードなのだろうか。
 
なんかよくわかんない文章書いてると、頭が良くなったような気がしますね。
 
人はきっと、よく分からないものに対して畏怖の念を抱くものなのだろうな。
 
先日友達の女の子が老後の人生不安だから貯金していると言っていた。
 
老後の人生、、、不安、、、
 
そうか、老後が不安だからみんな貯金するのか。
 
一体全体老後の何が不安なのか。
 
とりあえず日本円を貯めておけばいいということなのか。
 
働けなくなったら、、、年金がなかったら、、、病気にかかったら、、、
 
病気とかっていうのは、予防できるのなら予防した方がいいと思ってる派です、僕も。
 
せっかく過去からの蓄積で、伝染病も少なくなったし、いろんな病気に対して予防法が確立されているわけで。
 
その知識の恩恵を受けない手はないと思うのですが、でもそれでも未来に予期せぬ病気にかかるようなことがあったら、それはもう寿命じゃないかな。
 
そうなったらもうそれはそれで、その病気にかかった自分というキャラで生きて行くしかないんじゃないかな。
 
寿命が来るようなら、死んだらいいんじゃないかな。
 
「そもそも60歳以降にお金の心配をしなくてはいけない人生なのだったら、それはもうそれで仕方がないし、なんならどうしても無理ってなったらそりゃもう死ねばいいんじゃないかな」
 
って言いました。その友達の女の子に。
 
ドン引きしてました。
 
たぶん、一ミリも分かり合えなかっただろうなと。
 
まあ人生色々、みんな考え方が違って当たり前だし、それはそれでいいと思います。
 
しかし老後のために今買いたいものを我慢して貯金しているって、結構すごい意志の力だな。
 
自分はやりたいことにガンガン投資していきたい。
 
特に今何か目標を見失っているようであれば、目の前のことに集中するのはもちろん。
 
何か投資して行くことが大切かもしれない。
 
というか、時間があっという間に過ぎて行く感覚に陥っているのは、仕事の時間が長すぎるからだと思う。
 
平日は基本12時間ぐらいは拘束されているようなもんだから。
 
だから投資先として、「時間」というのは非常に良い考えである。
 
もっと時間を使えるように、時間を使うためにお金を使って行くという発想は、非常に有効な気がしてきた。
 
そもそも今週7で働いてお金を稼ぐよりも、週5で働いて空いた時間で楽しいこと考えてた方が、より人生輝く気がしてきた。
 
年末から仕事の率を上げていたから、ちょっとここらで落ち着いて、時間に余裕を持って楽しいことやっていきたいね。
 
そう思います、ええ。
 
現場からは以上です。