友達エネルギーに関する考察

ダンスしてる人って、当たり前のように帽子をかぶっている。

 

普通にサラリーマンをしていると、帽子をかぶるシーンというのは、そうそうないなって思うのだが、ダンスしてる人って大半帽子かぶってる。

 

それはもちろんファッションとしてなんだろうけども、今の僕みたいな力仕事系の人たちっていうのも帽子率が高い。

 

そこから考察するに、やはりダンスっていうのはブルーカラーの人たちが日々の鬱憤だったり、社会への反発を表現している一面があるんだろうなって思う。

 

好きです、帽子。

 

 

こんばんは、ヨウジです。

 

意識して飲み会を企画するようになってから、1年ぐらいたった。

 

ここで節目として、飲み会の形を論じてみたいと思う。

 

飲み会。

 

それは現代に残された最後のユートピアであり、流れ行く旅人たちの晩秋のセレナーデである。

 

好きな人たちと毎日飲み歩くのが最高に幸せな人生なのではないか。

 

そう思い、自分なりのユートピア創造のため、飲み会を企画するようになって早一年。

実にいろんな出会いがあり、たくさんの喜びがあり、悲しい出来事もあり、寂しい別れもあった。

 

人の数だけ出会いがあり、出会いの数だけ喜びがあって、出会いの数に比例して別れの数も増えた。

 

別れは悲しい。しかし別れることで、なにかを手放すことで手に入れたこともたくさんあったと思う。

 

ここで自分の中で大きなテーマとなるのが、「1人の人が友達でいられる人数には限りがあるのかどうか」である。

 

基本的には、自分は友達は多ければ多いほどいいという考えだ。それは大学生の頃から変わっていない。

 

留学先のオーストラリアでその話が議題に上がったことがある。指名されて僕は、友達は多ければ多いほどいいという趣旨の発言をした。

 

そこで韓国から来た子に反論されたのは「友達は必ずしも多い方がいいというわけではなく、密度の方が大切で、だから僕は友達が少ない方が良いのではないかと思う」といった内容だった。

 

あれから約6年。あのときはうまく反論できず(英語だからっていうのもあり)モヤモヤとした気持ちを抱いていた過去の僕に代わって、反論を言語化したいと思う。

 

確かに友達との関係性の密度は非常に重要である。まあまあ仲の良い友達が10人いるよりも、親友が1人いる方が良いじゃないかという考えも理解できる。

 

しかし大人として社会を生き抜いていく上で、数は質を凌駕するのではないか、というのが今の僕の結論である。

 

例えばわかりやすい例として、先ほどの10人のまあまあの友達がいるタイプをA。親友が1人いるタイプをBとすると、友達をなくすリスクというのは、Bの方が圧倒的に多い。

 

直接的にいうと、Bはその1人の友達と喧嘩してしまえば終わりだし、喧嘩しても仲直りできるのが親友だよっていう反論があったとしても、別れてしまう理由は喧嘩だけではないだろう。

 

例えばその1人が思うところあって海外に乗り込んだりした場合、友達関係は当然続くだろうが、関係性の希薄化は避けられまい。

 

いかに世界がインターネットを通じてグローバルになったところで、人と同じ場所、同じ時間、同じ体験を共有することによる関係構築のパワーにまさるものはないからだ。

 

人と人との距離、それも物理的な距離というのは非常に重要である。

 

仲良くなりたい人がいるのであれば、出来るだけその人の近くにいることだ。

 

つまり、どんなに関係性の深い親友がいようとも、物理的な距離が離れてしまえば、会う機会の減少によって心の距離が離れてしまえば、関係性は希薄になるのだ。

 

仕事で遠方に勤続になるだけでも、確実に心は離れていく。

 

そう考えると、Aのまあまあの友達たくさんスタイルはそのリスクを回避しやすい。

 

まあまあの友達が1人離れたところで、他の友達と遊べば良い。

 

さらに受け皿の広さがある。親友となるためには、いろいろな条件、偶然、タイミングが一致している必要がある。

 

そういう意味では、密度の濃い親友というのはなかなかできづらいものだ。

 

こういうと、Bの人はこう反論するだろう。時間なんて関係ない。親友っていうのは、出会った時から親友なのであり、時間や回数は関係ないよと。

 

それは確かにそうだ。気があう人というのは確実に存在する。なぜか初対面から気が合い、一度会っただけで10年来の友達となることもあるだろう。

 

だがそれは逆説的にいうと、Aの人の方がさらに可能性は広がると言える。

 

1000人のうち、1人が気の合う人だと仮定すると、密度の濃い友達と2人で遊び続けている人よりも、まあまあの友達を作ろうと多くの人と会う機会を持っている人の方が、1/1000の人に出会う確率は高いであろう。

 

また、俗になんでも相談できる親友という言葉があるが、誤解を恐れず言えばそれは嘘である。

 

その親友との出来事や関係性については、その親友には相談できない。相談とは基本的に当事者ではない第三者にするものだからだ。

 

リスクの回避でいうと、ポートフォリオなどでは分散投資という言葉があるが、こと友達関係に限って話をすれば、分散的に関係性を構築しておくことは非常に大切だと言えるのではないか。

 

そこで最初の話に戻るが、1人の人間が持ちうる関係性の数の上限はどうなるだろうか。

 

僕が好きでその行動をウォッチしている有名人に、ホリエモンと家入一真さんがいるわけだが、この2人の関係性の広さは圧倒的である。

 

え、そこも?え、ここも?というように、びっくりするような関係の広さで、しかもそのジャンルは多岐にわたる。

 

それはお二人が垣根なくいろんな人と会うようにしているという、日々の努力の賜物であるだろうが、僕もそうなりたいと考えた。

 

だから関係性を幅広く増やすことを自分の中でのテーマとした。これに直結した行動が前述の飲み会を企画するという行動である。

 

もちろん企画者を率先してやることには、他の理由もあるのだが、大きなテーマとしては関係性の広がりを求めたと言って良い。

 

結論から言うと、関係性は広がったが、イメージしていた広がりには至っていないというところが今の素直な感想である。

 

友達の数、または少なくとも知り合いである人間の数はかなり増えたと言えるが、ではどんな飲み会でも毎回声をかけたくなるような関係性の深めな友達が増えたかというと、確かに増えたが期待したほどではない。

 

もっと細かく言うと、自分が最初から持っている友達エネルギーを100として、その分け方が今まで20だった人との関係性を10にすることで、エネルギーが5の友達を2人増やしたというようなことだ。

 

つまり、自分の友達エネルギーが100から上がっていっていない、正しくは思ったより上がっていっていないということだ。

 

自分の想像では友達が増えるにつれて、自分の友達エネルギーも飛躍的に伸びていくと思っていたのが、比例して増えていっている気がしていない。

 

5エネルギーの人は増えたが、その分20だった人が16とかになってような印象なのだ。

 

こういうと、Bの親友1人タイプの人から「ほーらご覧!やっぱり友達の数には限界があるんだから!無理に増やすよりも関係性を濃くする方がいいんだよ!」って言われそうだが、努めて優しい言い方をすればちょっとだまってろ、である。

 

自分のエネルギーが増えていないとはいっていない。思ったよりも増えていないなという話である。

 

しかしこれは冷静に考えてみれば当たり前の話で、自分のかけているコストが変わっていないから、テイクが少ないのである。

 

ここでいうコストとは、時間のことだ。

 

どれだけ会う機会を増やそうとしていても、所詮僕は土日の時間を使っていただけだった。

 

時間には限りがあるから、土日でどれだけ頑張ろうとも、得られる友達エネルギーはしれている。

 

だから、もし僕が前述した2人のようになりたければ、もっと時間をかけるべきなのだ。土日と言わず、平日も。毎日だ。

 

時間の絶対量が増えれば、自然と得られる絶対量も変わるはずだ。

 

それにはもちろんリスクが伴う。何かに新しく時間を費やすということは、今まで何かにかけていた時間を失うということである。

 

それはおそらく家でのんびりしていた時間であり、ダラダラと過ごしていた時間である。誰でもそうだと思うけど、家でダラダラする時間は最高である。

 

そしてそんな時間も大切にするべきという考えが自分の中では大きくあったのだが、やはりそんなことでは自分の望むところには到達できない。

 

繰り返しになるが、何かを得たいのであれば、何かを捨てることだ。

 

あとは優先度の問題となるであろうが、そこのリスクは率先して取っていくしかない。

 

さらに言えば、ダラダラしている時間は好きだが、ダラダラしている自分は別に好きではないのだ。

 

ここの違いは難しいが、トータルで見て最終的に自分の幸福度が高まる方を選ぶとするのであれば、刹那的な楽しみの時間は削っていくべきだ。

 

どうせyoutubeをダラダラと見ている時間なのだから。

 

ここまでの話をまとめると、人生楽しむには友達が多い方がいい。そのためには出会う数を増やした方がいい。そのためにはそこに割く時間の総量をあげた方がいい。ここまではオーケーか。

 

オーケーじゃない気もしているのだが、ここまできたら後戻りはできない。死を覚悟して突き進むのみである。

 

補足として、僕の個人的な希望的観測を述べさせてもらうと、友達の数というのは加速度的に増えていくものだと思っている。

 

ホリエモンだって、最初から毎週毎週新しい人と出会っていたわけじゃないだろう。

 

友達の数を地道に増やしていって、ある一定のラインから、一気に増えていったのではないか。

 

よく学習効率を説明するグラフで出てくるあれである。

 

あの途中からグワーンって伸びているあれだ。エビング曲線だかなんだかっていうやつだ。

 

それはひとえに、友達が友達を引き連れてくることから生じるはずだ。

 

友達が友達をひきつれてやってくる。前にも書いたがそれが最も効率よく好きな人に出会う方法である。

 

つまり結論としては、やり方は今のままでいいが、かけるコスト、いわゆる時間をもっと割けば、さらに加速度的に増えていくはずだということだ。

 

なんか最初は飲み会の立ち位置的な話をしようと思っていたのだが、図らずもこんな形の結論になってしまった。

 

皆さんはどう思うだろうか。ぜひ次の飲み会で議論したいものだ。

 

ぜひとも自由な発想で、自由な意見を交換しよう。

 

異論は認めない。

 

現場からは以上です。