書評『オペレーションZ』という衝撃。

日本人なら誰でも、義務教育を出ていれば、昔、学校の社会の授業で日本の国家予算について勉強したことがあるはずだ。
 
そのとき誰もが感じたはずの矛盾。借金というものを理解していれば、誰にでも明確に分かるはずの、それでいて日本では無視されている矛盾。
 
それは「日本の毎年の歳出は膨らみ続けおり、その額は歳入より明らかに多いため、日本は毎年借金をしながら国の運営を続けている」という事実である。
 
これはどういうことか。
 
端的に言えば「月収25万円のサラリーマンが、毎月の出費が30万円になってしまうので、毎月5万円の借金をしながら生活している」ということである。
 
そして「将来的に借金を返済していくためのプランは一切ない」ということだ。
 
どう考えてもそんな生活は続けられるわけがない。借金とは借りた金で、返さなくてはいけない。いつまでも無条件に、返済の見通しがないのに貸してくれるところなんてあるはずがない。
 
破綻は目に見えている。
 
これとまったく同じことが、日本という国では毎年行われている。
 
つまり「やっぱり収入より出費がかさんでしまうから、また新たに借金をしよっと」ということだ。
 
それが個人や法人であれば、自己破産という選択肢がある。自己破産とは所有する財産等一切合切を失う代わりに、借金も棒引きになるという救済システムである。 
 
つまりチャラ。持ってるもの全部出した上で、個人の人権を侵害しない程度まで全て出し尽くしてもらった後で(借金を返すために臓器を売れとまでは言われない。)借金はチャラにしてやるよ、というルールである。
 
だからこそ借金は誰でもできるわけではなく、信用が必要だし、そのために信用の査定がなされた上で、銀行やら民間企業もお金を貸し出すのだ。
 
しかし国家はそうではない。
 
「ごめん、来年はもうこれ以上は借金できないって言われてて、、今後も返せそうにないから破産申告するね?また来年ゼロからスタート!がんばろ!」というわけにはいかないのである。
 
誰かが責任を取らなければならない。そして日本がその状態になったときに、責任を取るのは日本国民である。もっと言えば、今生きている日本国民と、これから生まれてくる日本国民である。
 
『オペレーションZ』著者:真山仁
オペレーションZ

オペレーションZ

 
 
 
この本を手に取ったのは、NewsPicksという経済メディアの「WEEKLY OCHIAI」という番組で、真山さんがゲストして招かれ「日本財政をアップデートせよ」というテーマで議論している動画を見たからだ。
 
『国家財政破綻(デフォルト)』という言葉がある。
 
過去にはアルゼンチンやギリシャ、韓国(これは正しくはデフォルトではなく、IMF(国際通貨基金)から支援金が出たのかな?)が経験している事態である。
 
デフォルトをした国家はどうなるのか。
 
まずその国の通貨が国際的に信用をなくし、紙幣が紙くず同然となる。通貨(円)が信用を失くすと、誰も円での支払いを受けてくれなくなる。
 
例えば、いま「1ドル=113円」のレートが、円が信用をなくし「1ドル=10,000円」ぐらいになったとする。それはつまり「今までは1ドルを買うのに113円でよかったのが、10,000円かかるようになった」ということだ。
 
アメリカでコーラを買おうとすると、10,000円払わないといけないということだ。そもそもアメリカにいくにはチケットが必要で、片道だけでも500万円ぐらい必要になるということである。
 
今はわかりやすいようにドルを例にして説明したが、為替相場は世界各国で連動しているため、日本国内で物価の上昇(インフレ)が起こり、家賃が7万円だったのが700万円になるということである。
 
もちろん為替の連動に伴って、給料も変動する。額面だけ見れば、給料だって100倍になるかもしれない。「じゃあ額面が変わるだけで関係ないじゃん」と思うかもしれないが、もう少し深く考えてみよう。
 
今現在も働いている人は、確かに所得も連動するかもしれない(国家が破綻してたらそんな綺麗に連動して給料が上がるわけがないけど、ここでは説明しやすいように比例して上がると考える)、しかし貯金で生活している人はどうだろうか。そもそも働いている人も貯金なり投資なりをしているはずで、手持ちの所有財産の価値がどうなるのかという話だ。
 
ほとんどの日本人が、財産を「円建て」で所有している。持ち家だってそうだし、貯金もそうだし、国債もそうだ。(株はまたちょっと違うのかな)
 
それが物価だけが上昇した場合はどうなるのか。毎月20万円の貯金を崩して生活している場合は、出費が(出費だけが)先月の100倍になるということだ。
 
年金暮らしの人も同じだ。年金は国家によって支給額が決められており、為替とは連動しない。(違ってたらごめん、教えてください)
 
簡単にいうと『生きていけなくなる』ということだ。
 
少なくとも、日本で生活している日本国民の生活の大半が「とんでもなく貧窮する」ということである。
 
『デフォルト』は絶対に起こしてはいけない、資本主義社会のタブーなのである。 
 
この本は、このままではデフォルトするしかない日本という国を、デフォルトさせないためにはどうするか、どうしたら良いのかをシミュレーションし、「デフォルトしたら終わりですよ、このままだと確実に来る未来ですよ、そうしないためにはこうするしかないんじゃないですか」ということを啓蒙するために、著者真山仁さんが小説として物語化したものである。
 
 
そもそも僕たちは、政治に関心がない。ほとんど皆無と言っていいだろう。
 
全く興味がない、だから勉強もしない、そうなると今の状況もわからない、もう何言ってるかわからない、じゃあもうどうでもいいや、、、
 
それが今の日本の政治、国民の実態である。別にこれは世間でよくいわれる「若者」だけの問題ではない。今の30代だって、40代だって、50代だってそうである。
 
「インフレ」という単語だって知らない人は沢山いるし、今の与党が何党なのかも知らないのではないか。そもそも与党という言葉を知らないかもしれない。
 
この「日本国民の政治離れ」は、確かに問題ではあるかもしれないが、じゃあ解決策を出そう!と言って、簡単に明確な解が出るような問題じゃない。
 
それにこれは別に「若者」に原因があるのではなく、そういう教育しかできていない制度にも問題があるし、世界の移り変わりで、そもそも合議制民主主義というシステム自体が時代にそぐわないという状況もあるし、生活にいっぱいいっぱいでそれどころではないという経済システム自体にも問題があるのかもしれない。
 
しかしそうは言っても、デフォルトだけは絶対にしてはいけない。何万人という単位で死者が出るだろう。国というシステムが崩壊すれば、物価が急激に上昇し(1989年のアルゼンチンでは前年比で物価が50倍になった)、失業率が跳ね上がるだろう。
 
職もなく、金もない人たちは生きていけない。暴動が起こり、病院や警察は機能停止となる。つまり暴動を取り締まる人がいなくなる、街の治安は一気に悪くなる、無法地帯だ。
 
スーパーから商品が消え、交通インフラも麻痺するかもしれない。
 
昔、社会の授業で出てきた、ドイツのハイパーインフレの話が記憶に残っている。 
 
ドイツでは第一次世界大戦で敗戦後、ハイパーインフレが起こり、物価が死ぬほど上昇した。そのため紙幣は紙くず同然となり、パンを買いに行くにも、リアカーに紙幣を山積みにして持っていくという状態になった。
 
そこでリアカーに山積みにした紙幣を運んでいたおばあさんが、ちょっと目を離した隙に、強盗にリアカーを盗まれてしまう。しかも強盗が持って行ったのはリアカーのみで、山積みの紙幣はそのまま現場に置き捨てられてあった、、、
 
こんな話だ。
 
ハイパーなインフレが起こった場合の事例として、強烈なインパクトのあるストーリーだ。
 
そんなデフォルトであるから、絶対に阻止しなくてはならない。デフォルトはしてはならないのだ。ではそれを避けるためにどうしたらいいか。それを実際に起こったこととして書かれているのが、この小説の内容である。
 
詳しい内容は読んでほしいなと思うのだが、簡単にいうと、借金を減らしていくためには、返済を頑張るのは前提として、これ以上借金を増やさないことが大切である。
 
しかし現状の日本(平成30年度現在)は歳入の34.5%を公債金、つまり借金に頼っている。それをゼロにするということは、歳出も同様の額を減額する必要があるということだ。
 
さらに今までの借金を返済するために日本は歳出の23.8%を当てている。つまり出費の1/4が借金への返済なのである。
 
借金の返済はどうやってもやらなければいけないため、残りの出費のうちの3/4で収入の減額分を減らさなければいけない。
 
日本国の出費の50%は社会保障費と地方交付税交付金である。34%もの収入の減りをカバーするためには、どうやってもここの予算を減らすしかない。
 
考えられる内容としては、社会保障費、つまり医療費や年金、介護保険費用の減額である。
 
小説では、江島という総理が、日本財政の正常化のため、上記社会保障費の実質ゼロ化という計画を断行する。
 
病院費用の本人負担増、年金の減額、、、、もちろん収入を増やすことも重要で、所得税の増税に消費税率のアップなどなど、、、
 
これは小説の中の物語だが、実際に今日本が抱えている問題なのである。じゃあなぜそれをやらないのか、デフォルトを防ぐ唯一の手段はそれしかないのに、なぜ誰もやらないのか。
 
革命とは、リスクなしに行うことはできない。誰かが責任をとり、誰かが痛みを引き受けないといけない。
 
この改革で痛みを受けるのは、日本国民全員である。特に鮮烈なダメージを、即時的に受けるのは社会的弱者である。
 
失業者や生活保護受給者、年金のみで生活している人や、まだ働いていない若者、、
 
お金に余裕がない人が、最も甚大な被害を被る。
 
誰だって、余裕のある生活がしたいと思う。苦しむのは嫌だ、収入が減るのは嫌だし、出費が増えるのも嫌だ。
 
有権者の誰もが嫌だなと感じのだ。そして計画を断行する国家とは、有権者から選ばれた国会議員からなる内閣によって統括されている。
 
国会議員は選挙で当選するために、有権者からの評価を得なければいけない。選挙というのは、国を挙げた人気投票なのである。
 
そんな人気投票の場で、「私はあなたたちが苦しむことになる計画を断行するために国会議員になります」と言ったところで、誰が投票するだろうか。
 
結果的に、誰もそんなことをしようなんて言いださない、仮に言おうものなら、あいつは何を言ってるんだ、頭がおかしいということになって、あっという間に権力を取り上げられるだろう。
 
国会議員は人気商売なので、国民から賛同を得られないようなことは言いたくないのである。
 
そして計画は先送りになる。とりあえずまだ国家としては成り立っているんだからいいだろう。俺じゃなくても誰かがやるだろう、で、戦後から今までズルズルやってきた訳である。
 
 
小説ではこの革命を断行しようと、懸命に画策する人たちの様子が描かれているが、当然猛烈な反対にあう。
 
国民からもしかり、メディアや野党、あらゆるところから批判が殺到する。
 
なぜ自分たちの代で、過去の人たちが作ってしまった借金の返済をしなくてはいけないのか。
 
しかしそれは未来の人たちにとっても同じことで、その論理では一生解決はできない問題なのだ。
 
結果先送り、考えないことにするという流れで、今までやってきてしまったのだから。
 
 
さて、ここでようやっと自分の主張をしようと思うのだけれど、もう僕は無理だと思う。
 
もう全然無理、普通に無理。
 
未来の人たちのために!なんて言ったって、ほとんどの人が自分のことしか考えていないし、未来の他人のことなんてどうでもいいというのが本音だ。
 
僕だってそうだ。じゃあ財政再建したいから、来月から10万円ちょうだいねって言われたら、ちょっと待ってくれいって話になる。
 
もちろん、デフォルト回避のために何ができるかを考え、一所懸命やるのもアリだと思う。
 
でも無理だよ。絶対に無理。もうどうやっても無理だと思う。
 
どうやっても邪魔されてしまう。どんなに論理的なプランで、どんなに合理的な判断がなされている計画だったとしても、反対する奴はいる。自分の利益のためにしか動かない奴は一定数いる。っていうかほぼほぼそうなんだから。
 
そして民主主義は多数決社会である。数の多い方の意見が通る。自分の人生を犠牲にしてでも未来の子どもたちのために、泥を飲んで生きようと思う奴なんて、数%しかいないんだから。
 
だからこれはミッションインポッシブルなのである。
 
これをどうにかするには、一部の人間が全てを決定できるシステムを取るしかないと考える。つまり独裁政治である。
 
しかし国民はもちろん、世界の国もそんなことは許さないだろう。どうやってでも阻止しようと動くはずだ。
 
その妨害をやり過ごし、政治に革命をもたらすために、きっと今も日々身を粉にして働いている政治家の方や、官僚の方、有識者の方がたくさんいる。
 
その人たちの応援をしたいと思う一方、もうどうやっても無理なんだろうなという認識もぬぐいきれない。
 
はっきり言って、バカに構っている時間はないのだ。
 
何も考えず、何も勉強しないで、テレビのゴシップに一喜一憂し、自分たちの不利益には全てNOと答える人間を相手に、論理は全く通用しない。
 
無理だ。
 
だから逃げるしかない。少なくとも、逃げる準備はしておかなくてはいけない。
 
資金を外貨で持つ、または仮想通貨でもいいかもしれない。理想は外貨による収入のパイプを作ること、いつ日本を脱出しても生きていけるように、準備しておかなくてはいけない。
 
子どもの頃から考えていたことが、この小説を読んだことでよりリアルに感じられた。控えめに言って、震える内容であった。
 
沈みゆく船にそのまま寝そべっているのか、それとも新しい船を探しに行くのか、、選択は人それぞれであろうが、すでに待った無しの状態になっていることへの認識は必要である。
 
出てくる単語が難しいかもしれない、専門用語も出てきて、理解しづらいかもしれない。けど、ぜひ身近な友達、特に普段政治のことや経済のことにあまり触れない人に読んでみてほしいなと思った小説でした。
 
もっともっと勉強したい。政治のこと、経済のこと。もっともっと知識を深めたい。
 
現場からは以上です。