プログラマーに憧れて(横浜市在住27歳営業職の男性からのお便り)

プログラマーになりたい。ずっとそう思って生きてきた。ここ2年ぐらい、ずっとずっと、プログラマーになりたいって思いながら生きてきた。

 

でも全然プログラマーになれていない。まったくもって、プログラマーではない。1ミリもプログラマーではない。

 

この「プログラマー」という単語をキーボードで打つときに、指に違和感が走っている時点でプログラマーではない。でも僕は、プログラマーになりたい。『それでも僕は、プログラマーになりたい。』

 

どうも、僕です。ヨウジです。

 

最近プログラマーになりたい欲求が再熱している。篝火のように燃え始めている。「カガリビ」って人生で初めて打ちました。こんな漢字を書くんですね。

 

なぜプログラマーになりたいのか。その理由については、多くは語らないが(なぜ)、ひとつだけ、明確なものがあるので、そちらだけをシェアしておきたいと思う。

 

『プログラミングができたら、かっこいい。』(感じがする)

 

これである。人間の三大欲求と呼ばれている「睡眠欲」「自己陶酔欲」「カッコよくなりたい欲」のうちの一つである。

 

「かっこよくなりたい」

 

それは全人類が目指す最終目的地であり、栄光のフロンティアであり、魑魅魍魎の跋扈する修悦な秘境に漂う曼荼羅である(何が)

 

人はみんなカッコよくなりたいものだ。だから合コンなどで「趣味はなんですか?」などと聞かれた際に「スノボです」などと嘘をつくのだ(しつこい)

 

そう、プログラミングの話である。なぜこんな話をタラタラ書いているのかというと、君に生き証人になってほしいからだ。俺は今、完全に知識ゼロのプログラマーである。もとい、プログラマーではないが、プログラマー習熟度で言ったら、綺麗なゼロである。まさに永遠のゼロ。圧倒的ゼロ。プリン体ゼロである。

 

だからこそ、ここで宣言をしておきたい。「俺はすごいプログラマーになる」と。

 

....ここで重要なのはその抽象度である。ご覧いただいた通り、私は具体的な目標を一切語ってはいない。ただ「すごい」という個人の価値観でどうとでも変わりうる尺度を使い、明確な目標設定をすることによる失敗を恐れているのだ。

 

それでいて文頭に「俺」などという一人称を使うことで、自分が「男」であることを強調し、その文字が持つ強さを自分の意志の強さかのように見せてくる狡猾さ。まさに卑怯、器が小さい、ゴミのような人間である。

 

しかし、と私は改めて声を大にして言いたい。この気持ちは本当だと。この想いは真実だと。私はプログラマーになり、もっと世界を理解できるようになりたいのだ。

 

世界を理解するとはどういうことなのか。私自身まったく理解していない。しかしそんなことはどうでもいい。今、私の目の前には、知らないことが溢れている。どんなジャンルにおいても「完璧な知識があり、そのジャンルの全てを知っている」と言えるものはないだろう。そんな知らない知識を、私は学び、理解していきたいのだ。

 

その中でも特に最近「自分が興味あるジャンルはこれなんだな」と客観的に思っているのは、

 

脳科学」「行動心理学」「AI」についてだ。

 

心理学は昔からアホみたいに好きなのだが、脳科学についてもここ数年興味が湧いている気がする。おそらくそれは結局のところ、心理と言いながらも心を操っているのは脳であり、脳がどう感じたかというのが究極重要なのだから、心理学を理解したいのであれば、脳についての理解を深めた方がよくね?っていう話なのだ。

 

そしてもう一つがAIである。いわゆる人工知能だ。

 

ニュースで散々やっている通り、最近はもはや人工知能の文字を見ない日はないぐらいである。つい数年前までは、人工知能っていうのはSFの中の話であったはずだ。サイエンス・フィクションである。そう、フィクションだったのだ。

 

しかし、いまの世の中には人工知能がいっぱい。「将来人工知能に奪われる仕事が出てくるよ!」という段階ではなく、もはや「どの業種の、具体的にどういった仕事が真っ先になくなるよ!」っていう話なのである。

 

2050年には、日本の人口の60%が働いていない状態になるという。それは人工知能のせいだけではなくて、少子高齢化の問題もあるだろうけれど、60%が働いていない世の中ってどんな感じなのだろうか。一体、今ある仕事をどうするというのか。

 

その答えはもちろん、人工知能が全て代わりにやってくれるのだ。彼らはひと時も休まないし、文句も言わないし、とってもいい人なのである(人ではない)

 

だから、というわけでもないのだが、近い将来に必ず訪れるAI社会において、彼ら(AI)の行動や動きを定義づけするための手段である「プログラミング」ができない状態というのは、致命的な状態になりうると思う。

 

ただ実際はそんなことないかもしれない。エアコンなどの電化製品を、ほとんどの人が使いこなしているように、UIが完璧にデザインされ、誰でもタッチパネルで操作できる。それが未来なのかもしれない。

 

でも確実に、今後のクリエイティブというのは、プログラミングに依存するようになるだろう。画像の加工などがこんなに簡単になった今、ちょっと画像加工をするぐらいでは、クリエイティブと言われなくなってきている。

 

クリエイティブには、圧倒的なアイデアか、圧倒的なプログラミング能力が必要になる。それか圧倒的な行動力か。

 

でもよく考えたら、どの時代でもクリエイティブと呼ばれるものは、その時代時代において圧倒的であったはずであるから、別にAIの時代がくるからどうこうっていう話でもない気がしてきた。

 

....とにかく、俺はすごいプログラマになるんだから。そう決めたんだから。

 

最後にこんな支離滅裂なブログを書く原因となった、エンジニアさんのエントリ(単純に良い記事)と、自分が考えるプラグラミングのメリットを並べて終わりにしたい。

 

結論、一体何が言いたかったかというと、目標を決めて生きるっていいよねってことです。忙しいは正義、、なときもあるよね。

 

 

 

 

プログラミングができると、仕事場を選ばない。(セキュリティの問題で現地にいく必要がある可能性もあるけど)

 

プログラミングができると、職場に困らない。(プログラマは常に足りていない状態である)

 

プログラミングができると、大まかに言ってプログラミングだけしてればいい。(管理職とかに言ったらまた別だけど、ていうか知らんけど)

 

プログラミングができると、自分のサービスが作れる。(自分で思いついたサービスを形にできるっていう能力is最高)

 

プログラミングができると、エンジニアということになって、内向的全開でも許される。(たぶん、ほぼ喋らない)

 

プログラミングができると、モテる。(と思いたい。)

 

現場からは以上です。