バンドマンに憧れて。

「バンドマンになりたい。」
 
そう言って、あいつが当時一緒に住んでいた家を飛び出したのが一年前の六月。
 
ちょうど今みたいに、街全体がジメジメとして、なんとも言えない鼠色をした雲が、空全体を気だるそうに包んでいる季節。
 
こどもの頃から習慣でつけていた日記は、あの日から止まってしまっている。まるで、僕の人生もあの日を境に、進むのをやめてしまったかのように。
 
 
 
おはようございます、幼児です。
 
「バンドマンになりたい。」
 
人類ならば誰でも、一度は思ったことのある願い。全ての生き物にとっての憧れ、それがバンドマン。
 
あのソクラテスも、弟子たちに人間の神秘を語るその合間に「バンドマンってめっさかっこええわ。」とこぼしていたという。
 
「わしもバンドマンなれたら最高やったのにな。ほんましょーもない。」と毎日こぼしていたという。
 
あのソクラテスが、である。あのソクラテスがそうこぼすほどの、こぼし続けるほどの、こぼし倒すほどの存在。それがバンドマンなのである。(あくまで僕の想像です)
 
なぜ、人はこれほどまでにバンドマンに惹かれるのであろうか。なぜバンドマンは、ここまで人類を魅力するのであろうか。
 
京都にて産声をあげて早28年。産まれた時からバンドマンのことだけを考えて生きてきた「バンドマン研究会関東支部第8エリア統括部統括マネジャ 兼 バンドマン大好きっ子クラブ第47代目第一書記補佐」であるこの私が、お前らにバンドマンはなぜこんなにも人を惹きつけるのかを解説してやろう。
 
 
「歌が上手い人かっこいい。」
 
 自然界を見ればわかる通り、生物が身体、または口から音を発する場合は、何かしらの目的がある。仲間に危険を知らせるため、相手を威嚇するため、餌をおびき寄せるためなど、その用途は様々である。
 
中でも鳥類に見られるものとして、歌がある。鳥が歌を歌うその目的は、主に求愛行為であることが多い。相手に自分のことをアピールするのだ。
 
鳥の中にはその歌が上手いか下手かで、魅力的なオスを判断する種類のものもいるという。「あかん、うち、あいつの歌、めっちゃすっきゃねん。」
 
鳥類がそうであるのだから、人類も当然そうである。歌とは本来求愛行為であり、相手に自分の好意を伝えるものなのである。そしてもちろん、人類のメスも歌の上手い下手によって、魅力的なオスを判断する。
 
この場合、人間のメスは歌を耳で聴いているのではない、子宮で聴いているのだ!(急激な下ネタ)
 
そしてその歌によって、より優秀な子孫を残すための生殖行為に及ぶオスとして、最適かどうかを判断するのである。反対に人間のオスは、より優秀な子孫を残すための生殖行為に及ぶメスに対して、自分をアピールするのである。つまり目的はセックスである。(下ネタをやめろ)
 
以上のような内容を数式にまとめると、以下のようになる。
 
歌 × 生殖行為 = 子孫
 
このとき、歌とは求愛行為であり、目的はセックスであるから、
 
歌 = セックス と置き換えられる。
 
これを上記の式に代入すると、
 
セックス × 生殖行為 = 子孫
 
となり、生殖行為とは主にセックスのことであるから
 
セックス × セックス = 子孫
 
となり、上記から子孫とはセックスの自乗ということになる。(QED)
 
つまり、人間はセックスが好きってことだ。(何回セックスいうねん)
 
話を戻すと、歌とはそもそも求愛行為であり、歌が上手い人のことをかっこいい、またはかわいいと思うのは当然のことであるのだ。歌こそが全てなのだから。(お前はなんや)
 
 
「楽器ができる人かっこいい。」
 
自然界を見ればわかる通り、生物が身体の一部、または何かしらの道具を使うことによって、音を発する場合は、何かしらの理由がある。
 
以下同文である。先ほどお話しした内容と全く同じである。つまり子孫=セックスの自乗なのである。まさに子供を残すというのは、セックス事情というわけである。(殺すぞ)
 
まあそんなわけで、楽器ができる人に惹かれるのは当然なのだ。なぜならそれそのものが求愛行為なのだから。
 
 
そしてこれが最後になるが、人類がバンドマンに惹かれる最大の理由が一つあるのだ。皆さんには思い当たることがあるだろうか?もしよければそのプッチンプリンを食べる手を止めて、考えてみてほしい。プッチンプリンの前に一度、考えてみてほしい。プッチンプリンは一度脇に退けて、考えてみてほしいのだ。
 
 
 
どうであろうか?
 
 
プッチンプリンから離れて、考えていただけたであろうか。
 
それでは正解である。人類がバンドマンに惹かれる理由、それはバンドマンが自由の象徴であるからである。バンドマンが「夢を諦めずに追い続けている人」の象徴であるからである。
 
歳をとっても、夢を追いかけ続けている人が多いジャンルってなんだろうか。漫画家?小説家?
 
最近では芸人?料理人?他にはあったっけ?
 
夢を追いかけ続けているかどうかというのも、主観でしかないが、夢を追いかけ続けているのを社会的に許されるのって、そこまで多くないのではないかと思う。
 
漫画家とかだと、漫画家になるために大人になってからも書き溜めた作品を賞に応募して、、とかっていうのは、わりかし30台前半ぐらいまでなら許されるイメージである。小説家などはもう少し年齢が上がっても大丈夫な気がする。
 
もちろんそれは、その職業自体が年齢関係ないっていうのも大きいと思うんだけどね。スポーツとかだと、体力的にどうしても諦めざるを得ない年齢というのがあることが多いから。
 
逆にいうと、その他のジャンルだと「いい歳して夢を追いかけているのはみっともない」って判断されてしまうってことだ。みんなが判断するということだ。
 
でも、みんな心の中では、夢を追いかけている人に対して憧れがある。自分は諦めたのに、あいつは、まだ諦めずに夢を追いかけている。馬鹿だな、って思いながらも憧れている。居酒屋で他の友達と、あいつは本当に馬鹿だよなー、いい歳してなにしてんだろうなーって喋りながらも、憧れている。
 
もちろんそんなことは中々口には出せない。むしろ自分でもその感情に気づいていないかもしれない。人は無意識に自己肯定してしまうものである。つまり、夢を追いかけている人への憧れを認めてしまうと、夢を諦めた今現在の自分を否定することになってしまうからだ。
 
だから簡単には憧れを表現できない。自分が現在所属しているコミュニティを否定することは簡単にはできない。人は誰しもこれでいいんだって、今まで歩んできた道は間違いじゃなかったんだって思いたいものなんだから。
 
でも、夢が叶うことを信じて疑わなかった時代もあったわけで。そんな時代のことが懐かしく思い出され、胸が締め付けられる気持ちがする、でもあの頃の自分も確かに自分なんだ、って。
 
そんな締め付けられるような痛気持ちを味わうから、みんなバンドマンに惹かれるんだよ。頑張っている人に惹かれるんだよ。
 
夢を諦めないという強い気持ちを忘れないためにも、俺はバンドマンになろうと思う。
 
だってモテたいし。
 
現場からは以上です。