(人見知りっていうのは一見おとなしそうに見えて実際は)心が叫びたがってるんだ。
僕は人見知りだ。泣く子も黙る人見知りである。
街を歩いていても「ママ〜、あの人、人見知りだよ〜」「シッ!こうちゃん、見ちゃダメ!」って言われるタイプの人見知りである。
人は僕のことをこう呼ぶ。
「人見知り界の若旦那」と。
そのあまりの人見知りぶりに、僕が歩いた道はくずれ落ち、季節は乱れ、根っからの理系だった人が、意識高い系の文系に変わってしまうという。
根っからの敬虔なクリスチャンであったカトリック教徒が、敬虔なプロテスタント教徒になってしまうという。
根っからの引きこもりだったやつが、土日の両方に外出する予定を入れ、朝から都会という名のジャングルの中に繰り出していくという。
かくも恐ろしき、人見知り。
「人見知り ああ人見知り 人見知り」人見知り幼児作
しかしそんな人見知り界のゴッド、スーパー人見知リラー、歩く人見知り、人見知り伝説ようちゃん、人見知り学園教頭の呼び声もあった私は、全て過去のことである。
なんせ私は「弱点を克服することに生きがいを感じる男」幼児である。
「弱点を克服することに生きがいを感じるために、弱点にばかり立ち向かって結果生きづらい世の中だな、と感じている男」幼児である。
「人と仲良くなりすぎると、勝手に相手に期待してしまう部分が増え、結果裏切られたような形になることで自分が傷つくのが嫌だから中々人との深い交流に踏み出せない男」幼児である。(なんのこっちゃ)
つまり、端的にいうと、人見知りなんてものは、私の中ではすでに克服済みなのである。
確かに今もなお、私は人見知りである。根っこの部分が完全に変わったわけではない。
しかし、人見知りを数値化して客観視した場合、私はその数値において、他人から人見知りであると判断されない程度の数値を会得することに成功したのだ。(わかりずらい)
いや、むしろ社交的であるという、人見知りとは正反対の評価すら得ることも少なくない。
この状態に関しては、僕は多少なりとも満足感を得ていた。多少なりとも、達成感を感じていた。多少なりとも、多少なりともであった。
しかしだ。そんな多少なりともの達成感の中、休日にバスローブ姿で梅酒を傾けながらソファに寝転んでいた僕に向かって、ドロップキックをかましてきたやつらがいたのである。
そんな無法者、この世の無頼派、平成の荒くれどもの名前は「生まれたときから社交的」族である。
こいつらときたら、もう。そりゃ、もう。そりゃー、もう。もうである。こいつらはホンマにもう、あれである。すごいあれである。
こいつらは生まれたときから社交的なのである。社交的であることになんのこだわりも見せず、それでいて鬼のように社交的。
初対面の人に対して話しかけるという行為をなんとも思わず、平然とやってのける。
彼らにとってその行為はまったくストレスがかからないため、人見知りという現象を理解することさえできない。
「人見知りなんだよね」などという話題が出ようものなら「はは!そうなんだ!あ!そういえば昨日ベイスターズ勝ったかな?」なんてことになる。
彼らにとっては目の前の人見知りより、昨日のベイスターズなのである。
かのようなことが許されて良いのだろうか。
まさに極悪非道、冷酷無比、満員御礼である。
そもそもベイスターズとはなにか。せめて横浜と言え。昨日の野球は横浜勝ったかな?って言え。ベイスターズなんて言われてもピンとこないし、なんなら少しピンとくるのがぐやじい。
普段そういった社交的な人が中々周りにいないので、意識することもなかったのだけれど、この前バイトで一緒になった大学生が、まさにその種族の若者だった。
人見知りからはるかに遠い存在。人見知りがキッチンだとしたら、彼は書斎のような存在。人見知りがチキンナゲットだったとしたら、彼は和風御膳のような。そんな存在である。
出会った瞬間からトーク全開。物怖じせず、遠慮せず、ガンガンと自分の行動を突き進んでいく感じ。わかりますか?わかりますよね?あの社交的で高校の時に友達100人いたんだろうなってタイプのやつ。
部活動ではもちろんキャプテンでバリバリやっていて、生徒会長を兼任しつつも、マジメなだけではないからしっかりと悪いタイプの友達ともうまく関係性を築いてるタイプのやつ。
そう、キラキラ組の人たちですね。私たちがThe Shadow だとすると。
そしてバイトのお昼ご飯休憩のときに一緒にしゃべっているときもマシンガントーク。なんなんでしょうね。あの天真爛漫なタイプの人たちの自分のことを話す量の多さは。
いや、別に今回とかは嫌だったわけではないですよ。初対面ならお互いのことを紹介するのが仲良くなる第一歩ですし、積極的にしゃべるのは、(向こうが意識してるかどうかは置いておいて)とても良いことだと思います。
しかしその量。自分のことを話す量よ。半端ねぇよ、マジで。
もし僕が人見知りの人と会った場合に、お互いのことを紹介して得られる情報量の単純に23倍。いや、もはや約24倍。
「高知出身の21歳で東海大学の工学部所属。就活は終わっていて電気関係の仕事につく、職場は大崎。実家は養殖をやっていて、家族みんなでやっていると。田舎は自然がいっぱいのところで家の前はすぐ海。たまに親父の仕事の手伝いなどもしている。この前の春休みにはロードバイクで自宅の秦野から高知の実家まで自転車で帰った。すげーきつかったっすよ、マジで。小学生のときは水泳してて、大学まで陸上、球技は全部得意で、運動が大好き。釣りは大得意で超うまい、普段はルアーっすね。」
覚えてるだけでもこれぐらいの情報を昼休みだけで得ることになった。
もうね、しゃべるしゃべる。まあ確かに僕もしゃべるように促したというか、聞いてるよ、聞きたいよ〜って感じで話を聞いていたのだけれど。それはそれは楽しそうに話すものだから、聞いてる方も嫌じゃないよね。
しかしその量。さっき僕は、初対面ならお互いの情報をしゃべるのは大事って言ったけど、「お互い」ですからね?たぶん、彼は僕のことは年齢と名前ぐらいしか知らないと思う。
社交的な人っていうのは、きっと遺伝子が社交的なので、その人の努力でもないし、逆に言えば社交的ではない人たちの遺伝子は、社交的じゃないってわけなので、社交的じゃないことを自分のせいにして思い悩むのはやめようよ。(問いかけ)
たぶん、社交的な人たちはセイシがランシに突入するときも、
「どうもー!!こんにちは!おれ、セイシ!!高知生まれの天真爛漫な野生児だよ!高校の時はキャプテンでした!自分、人の役に立ちたいっす!」みたいな感じで突入したんだろうな。眼に浮かぶわ。
対して僕らみたいな人見知りは、まず突入とかじゃなくてランシがトイレ行ってる間にこっそり部屋に入っておいて、目があったら一応会釈ぐらいはして、1時間半だんまり。ランシが苛立って「えーと、セイシの人?」って聞いてたときに初めて「あっ、、そうです、、なんか上の人からここに来いって言われて、、」みたいな感じでジュセイするんだよ。
眼に浮かぶわ。
だから社交的な人と人見知りな人は根本的に構造が違う。
遺伝子が違うわけです。
ただこういった遺伝子による違いというのは、今まで明言されて来なかった。それは、研究が進んでいなかったということもあるけど、一番は「生まれた時から能力に差があるという事実は、差別に繋がる」からなんですね。
差別を助長するというか。身も蓋もなくなっちゃうじゃんという。
そもそも世論的には「生まれたときはみんな平等」じゃなきゃいけないわけで、人の成功というのは生まれてからの努力で勝ち得ないといけないわけで「生まれたときから優秀な人とダメな人」というわけ方をしてしまうと、あっという間に個人間の差別、人種差別に繋がるわけです。
そして親は当然優秀な子どもの方がいいから、出産前、または出産後に優秀ではない遺伝子を持つ子どもの排除、選択が行われてしまうという倫理観の問題もあります。
しかし、こういった事柄は今まで倫理観だけで押さえつけられていた世論なだけであって、実際は人によって生まれながらに能力の差があるのは当然だし、見た目だって違うわけで。
ただ差別などに繋がるからという理由で、情報統制というかプロパガンダというか、社会的な成功とかコミュニケーション能力とか「社会でうまくやっていくための能力」は、生まれてから各個人が努力で身に付けるものである、ということになってる。
背が高いのは遺伝なのに、デブは遺伝だとは言われない。本人の努力が足りない、ということになる。
視力が悪いのは遺伝なのに、頭が悪いのは、本人の努力が足りない、となる。
上手くいかないことを全て遺伝子のせいにするべきではないと思うけど(事実かどうかは置いておいて、そんな人生つまらない)ただ遺伝子のせいっていうのは確実にあるわけで。
もし納得いかないようなことや、うーんってなるようなことがあったら「こりゃ遺伝子のせいだ。しょうがねえ。」つって、忘れちまうってのも悪くねぇんじゃね?
だから、無理して社交的になる必要もないし、社交的な人が偉いわけでもなんでもない。
内向的な人だって、いいところはたくさんあるんだからさ。
そもそも社会的に外向的な人間の評価が高すぎると思う。僕なんて内向的過ぎて、内向的なやつとしか友達になれないな、って思ってるんだから。
話が死ぬ程飛躍したけど、とにかく社交的なやつとは分かり合えない部分がすごいあるなって思いました。
ちなみに遺伝子の話は「日本人の9割が知らない遺伝の真実」に書いてあったような内容ですね。この本はめちゃくちゃ面白いからオススメです。
遺伝とはなんぞや?っていうのがよくわかる。この本の著者が岡田斗司夫さんと対談してる動画もあるので、それを見て面白そうって思えたらぜひ一読くださいな。
岡田斗司夫ってだれや?って人は、また紹介するから待っててな。たぶん。
岡田斗司夫ゼミ1月15日号「遺伝格差時代到来! 能力は生まれる前から決まっているのか? 受け継いだ特異な遺伝1%があれば99%の努力は必要ないのか?」対談・安藤寿康(行動遺伝学者) - YouTube
現場からは以上です。
追伸
そのバイトで仲良くなった高知の子は、今度僕企画のバスケに来てくれるはずですので、乞うご期待ですw
追伸2
その日の帰りのバスで、そいつが高校の時キャプテンで、生徒会長やってたって話を聞いてゲロ吐きそうになりました。
社交的爆発しろ!