逃げるは恥だが悪くない

逃げるは恥だが役に立つ」というドラマが流行った。恥ずかしながら、自分は一秒も見たことがないのだが、確か藤井隆が踊りながらなんだかんだいう話だったはずだ(あんたなんだ次の番は)

 

今現在流行っているドラマ、いわゆる「トレンディドラマ」を分析することで、世の中の流れや考え方の流行などがわかる、かもしれない。少なくとも風潮や空気感は伝わってくるだろう。

 

それでいうと「逃げ恥」のこれだけの大ヒットは、世の中が「逃げる」ということに対して寛容になり始めていることの表れなのではないだろうか。

 

少し前に非常に問題視されていたのが、新入社員がすぐ辞める問題である。入社から5日で来なくなったり、一度怒るともう来なかったり、2年教育してようやく使い物になって来たかなというタイミングで辞めたり、仕事が自分に合っていないという理由で辞めたり。

 

この問題に対して世間一般の声は「だらしがない、もっと頑張れよ、自分に合ってるかどうかなんて2年ぐらいでわかるもんか、10年やって初めてその仕事がわかってくる、最低でも3年は必要だ、一度入った会社は3年は我慢しろ、そもそも仕事は辛いものだ、耐え忍ぶと書いて忍(しのび)なんだ。」などと言った意見が多かったと思う。多かったというか、「声が大きい」意見だったと思う。

 

しかしこの逃げ恥の大ヒットからもわかるように、流れが少し変わって来た。特にキッカケは「電通事件」であろう。電通の女性社員が自殺したあの事件だ。

 

【過酷電通に奪われた命、女性新入社員が過労自殺するまで】

https://www.google.co.jp/amp/s/dot.asahi.com/amp/aera/2016101800075.html

 

 

あの件から、世論は「死ぬぐらいなら逃げてもええやないか」という方向に変わって来たように思う。仕事を懸命に頑張ることは今でも奨励されているし、そこに夢もあるし、良い面もたくさんあるが、確かに存在する悪い面からも目を逸らさずに対処していこう、そんな空気感が出て来た感じがしている。

 

さて、今回は映画評である。言うなれば今までの話は全て蛇足である(殺すぞ)

 

と、冗談は置いておいて、人生において逃げる逃げないの話をする場合、最も大きな障害となってくるのは人間関係だ。普段生活をしていると、嫌でも人との繋がりというのは出来てくるし、またそれも単純な繋がりではなく、非常に絡み合ったネットワークとなっていく。AさんとBさんは友達で、BさんとCさんは面識がないけどDさんとは何度か合ってるはず、ただAさんの弟がDさんの妹と同じ高校で、Eさんホークがミッションインポッシブル。

 

ここで突然だがアメリカ人の人との付き合い方の話をしたい。人との付き合い方がアメリカ(欧米)と日本ではかなり違う。向こうでは友達を家族に紹介するのは当たり前、彼女を友達に紹介するのも当たり前、彼女を家族に紹介するタイミングも早い、異常に早い。

 

日本では友達に友達を紹介するという行為は滅多に行われない。ある程度仲良くなったら多少はあるかもしれないが、基本ないと言えるだろう。高校の頃の友達は高校のときの友達で会うし、大学の友達と職場の友達は一切関わり合いがない。そんな感じで、コミュニティごとに明確なグループわけがされているのが普通である。

 

そういったグループ分けをせずに、割と誰でも彼でも場に呼んで人を集めちゃうタイプの人がいたら、それは「根っからのパリピ(根リピ)」か「なんとかしてパリピになりたいんだけど、クラブとかいっても全然楽しくないし、そもそも人と喋ること自体そんな得意じゃないけど、でもベシャリ得意な人になりたい、かっこよくなりたい、モテたい」かのどちらかである。ちなみに僕は圧倒的後者である(でしょうね)

 

そして日本では家族(両親)に自分の彼女を紹介するのは「すでに2人の間で結婚の話をしている場合に限る」と言っても過言ではない。そりゃ付き合いが長くなれば、紹介することもあるだろうけど、欧米は違うからね。あいつらは付き合って一年と経たずに紹介するからね。「ミシェル、彼女が僕と付き合っているアマンダだよ。」

 

そんなことをしているから、アメリカドラマの修羅場はすごいことになってくるし、ゴシップガールみたいな信じられないぐらいドロドロした人間関係が出来上がる。彼らは一話ごとに誰かが何かしらの問題を起こすのだ!(それがドラマ)

 

そんな一見めんどくさそうな人間関係だが、アメリカ人はゲルマン人であるので、いわゆる個人主義的な部分が強い。(ゲルマン人だからかどうかは知らない)

 

なので割り切るところは割り切る。お互いがそういう考え方だから、その分トラブルは起こりやすいが、解決策が明確である。法廷で会いましょうってことだ。

 

しかし日本人はモンゴリアンである。そう、村社会である。常に「世間」という今まで会ったことも見たこともないものに対して、一生気を使いながら生きていくことを義務付けられた種族なのだ(言い方が悪い)

 

こういった社会的な面から見ても、日本での村社会、世間という縛り、体面や外見の良さというのは、非常に重要視されていることがわかる。自分の意思よりも、世間一般の意思が尊重される社会なのである。

 

さらに日本には侍(さむらい)という文化がある。これは未だ根強く残っていると思う。近年この武士の考え方も、今現在一般的に伝わっているものとは少し違ったものだったという研究や、明治時代以降の教育、思想の捻じ曲げだったり、いろんな話がされているが、いわゆる「サムライの思想」みたいなものはまだまだ残っている気がする。

 

「例え自分が損をしても、恥じをかくよりは良い」「逃げるぐらいなら死んだ方がマシだ」「仲間のためなら死ねる」「主人のためなら死ねる」

 

こういった「サムライ文化」(または「恥の文化」と言ってもいいかもしれない)が日本の労働環境、働くということに対するイメージを悪くしているのではないか。

 

世間一般でいう、いわゆるブラック企業は他の国だと成り立たない。なんせブラックだと感じたら辞めればいいだけだからだ。サッサと辞めてよりよい環境のところに移る。そうするとブラック企業はブラック過ぎると誰も働いてくれないから、労働環境を整えていくしかない。これだけでブラック企業は消滅するはずである。

 

それを国から企業に対して「ブラックやめよーよ」と働きかけても無駄である。企業側からしたら、ブラックなのは百も承知であり、それでも働く奴がいるから続けているのだから。

 

しかし恥の文化を誇る日本では、理由なく仕事を辞めることは許されない。いや、理由はあるんだけど、「つらいから辞めた」という理由は体面が悪いのである。何かしら他の理由が必要になる。

 

そして巷に溢れる中途半端な心理学系の自己啓発も、この良くない流れに拍車をかけている気がする。「全ては自分次第!やれば出来る!努力すれば夢は叶う!逃げるな!克服しろ!つらいなら、自分の考え方を変えろ!つらいときこそチャンスだ!」

 

確かにこれらは間違ってはいないのだろうと思う。その人にとって良質な効果をもたらすこともあるだろう。しかしそれらの言葉の効果が期待できるのは(当たり前であるが)時と場合による。時によってその言葉はその人を温かく包むかもしれない。しかし一方で、場合によっては、その言葉がその人を深く傷つけるかもしれない。

 

鬱(うつ)病患者にもっとも言ってはいけない言葉は「頑張れ」である。既に頑張っていて、またはこれ以上の頑張り方がわからないから鬱になっているのに、そんな人に頑張れという声をかけるのは残酷過ぎる。

 

そんなときは逃げていいのである。一目散に逃げ出せばいい。でも日本の自己啓発は他者への責任転嫁を認めない。全て自分の責任であるということを受け止め、乗り越えた上で成功を掴もうと誘ってくる。

 

それはそれでいいのだ、そういう考え方が好きな人は。その考え方も素晴らしいものだし、たくさんの人を救える考え方だと思うし、自分もテンションが高い時はそのイメージを持っていることが多い。

 

しかしそれを押し付けるのは良くない。人は人であり、他人なのだから、考え方を押し付けてしまうのは良くない。さらに立場が上だったり、家族だったり、そんな逆らえない状態での考え方の押し付けなど、レイプと一緒である。

 

先ほどの電通の例でもそうであるが、考え方の押し付け、人格否定などが直接的な問題となっていることが多い。多いのだが、それでも辞めない。死ぬまで辞めないのである。仕事を理由に自殺するのなんて日本人ぐらいである(たぶん)外国人からしたら「?」である。「辞めたらいいじゃん」で終わりである。

 

それが出来ないのも、サムライ文化、恥の文化による体面の重視、村社会、世間の目、中途半端な自己啓発による人のせいに出来ない風潮、立場が上の人からの思想の押し付け、長時間働くことへの正義、、、

 

そんな考え方が驚くほど「普通に」はびこっている。仕事を辞めるよりも、つらい仕事を我慢しながらやる方が世間からの評価は高いのである。しかし、子供の頃の自分からの評価はどうであろうか。胸を張って昔の自分に報告できるであろうか。今こんなに頑張ってるよって、胸を張って言えるだろうか。

 

ちょっと興奮したためダラダラ書いてしまったが、ようは「逃げてもいい」ということだ。日本という国は、逃げることに対する耐性がなさ過ぎる。もちろん全部が全部逃げ散らかしていいってことではないだろうし、大切にしてほしい人間関係や、つながりなどもあるだろうが。でもやっぱり、自殺を考えるような人生は、一度見直して見てもいいのではないだろうか。僕の座右の銘は「生きてるだけで丸儲け」である。生きてるだけでいいではないか、それはそれで上がりなんだから、楽しんで生きられればいいではないか。所詮人生は暇つぶしである。

 

逃げればマイナスになることはない。違法なことをしなければ、お金でいうと自己破産は可能(なはず)だし、人間関係も全部断ち切ってしまえばいい。少なくともゼロスタートに出来るはずだ。ゼロならいいではないか、また1づつ足していけばいい。逃げろ、そなたは美しい。

 

しかし自分からは逃げてはいけない。自分の気持ちに嘘をついてはいけない。あなたを救えるのは、あなただけなのだから。(キマった) 

 

あ、やべえ、映画評書くはずだったのに、またやってしまった。次回、次回必ず映画評書きます。テーマは「逃げる」についてだから、楽しみにしていてね(早く書け)

 

現場からは以上です。